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2010年8月6日金曜日

山の花々   広渡敬雄

芹洗ふ伏流水や砂弾く       広渡敬雄

梅雨明けの7月下旬、霧が峰、美ヶ原に行く。
ともに、深田久弥の「日本100名山」ではあるが、「山には登る山と遊ぶ山があり、後者は歌でも歌いながら気ままに歩く。勿論、山だから、登りはあるが一つの目的に固執しない。気持ちの良い場所があれば、寝転んで雲を眺め、わざと脇に迷い行ったりする(いわゆる高原逍遥)、当然豊かな地の起伏と広闊な展望を持った高原状の山でなければならぬ」と「霧ケ峰」と「美ヶ原」の二つを特に記して称えている。
ともに、日本の中央山岳のほぼ中央に位置し、広大な展望には定評がある。
北アルプス、南アルプス、中央アルプスの全て、富士山、奥秩父、八ヶ岳、赤城山、浅間山、奥志賀、妙高山、乗鞍岳、木曾御岳等々と国内屈指の大展望。
ちなみに霧ケ峰(車山)は、日本100名山の36峰が見られる。
まず、霧ヶ峰に向かう。早朝、諏訪方面から急斜面を登ると、車の運転が慎重にならざる得ない位の名にし負う濃霧が立ち込めていた。
但し、風が出て来てあっと言う間に霧は消えた。
霧走る迅さを頬がとらへけり

強清水に日大グライダー部「鵜飼輝彦君記念碑」並びに「藤原咲平記念碑」がある。
昭和8年から、この地の上昇気流を利用して練習場が出来たグライダーのメッカ。
そういえば、この後、のんびり高原を歩いていると、梅雨明けの青空に高く舞い上がる何台かのグライダーを目にした。
今日は、八島ヶ原湿原から御射山を経て最高峰・車山、さらに南の肩、北の肩、大笹峰、ゼブラ山を経て湿原に戻り、北の鷲ヶ峰から改めて八島ヶ原湿原を俯瞰する総なめコース。
3000haと言う広大な霧ヶ峰を満喫する。
八島湿原PAに着くと早朝にも拘らず、ほぼ満杯。大型バスも数台。
湿原の展望所(1630m)の掲示板には、現在咲いている花々の写真が貼ってあり、あざみの歌の碑がある。横井弘作詞の「山には山のうれいあり、、」で著名な歌である。
この地の年間平均気温は5.8c。北海道と同じ気温でもある。
草花の写真を撮る人、一周80分の湿原を巡る人、展望だけの人と溢れている。
眼前に見渡る限りの湿原は、日本最南端の高層湿原と言う。手前の八島ヶ池とともに湿原のかなたに水面が輝き(鎌ヶ池)、ほとりに奥霧小屋が見える。
泥炭層のミズゴケ類の遺体が、12,000年にわたり未分解のまま積み重なったもので、最深8mの厚さ。また地塘は深さ1m以内で、梅雨明けの青空を映している。
水面は、あめんぼうだろうか、やや揺れている。
主峰・車山(といってもなだらかな隆起)からゼブラ山の稜線が青々とした草原を広げ、その上に端正な蓼科山が見える。(写真①)









勿論、尾瀬ヶ原には及ばないが、奥鬼怒湿原、田代山湿原、北海道の雨竜湿原、サロベツ原野(日本最北湿原)に匹敵する。
田中澄子「花の百名山」では、この霧ケ峰の「ヤナギラン(アカバナ科)」が紹介されている。盛りが晩夏から初秋であるためか、あまり期待してなかったが、いの一番に一輪だけ、湿原近くの木道脇に見つけた。今日のテーマの花をまずゲット!の感。(写真①-2)









八月後半には、赤い花穂を風に揺らして大群生となろう。
湿原に降りるあたりに、大きな「シシウド」が咲いている。
高さが2m近くあり、白い花が広がり存在感がある。(写真②)









木道の日当たりの良い山側には、「ハクサンフウロ」。
その鮮やかな紅色の花は、目をなごませてくれる艶っぽい花だ。(写真③)












以前、白馬大雪渓の上部のお花畑でこの花の大群生を見たが、稜線近くまで広がり、まるで青空まで咲き登るようで壮観だった。ここでは、季節が早いためかまだちらほら。
木道は靴にはやや違和感があるが、足音は爽快。
奥霧小屋あたりから、郭公の声がする。
広い湿原越しに聞こえて来る訳だが、いかにも高原だなあと実感する。
みずならの木がいくつか現れる。いつも心を落ち着かせてくれる大好きな木。
次に小梨。既に花は終ってはいるが、桷の花とも言い、清楚な小ぶりな白い花弁がいとしい花だ。このふたつは、この山域では多く見られた。生育上好適地なのだろう。
「シシウド」が何本か咲いているが、沢山の虫が群がっている。蜜を吸っているのだろう。
時々、擦れ違う人が「こんにちは」と声をかけてくる。
紫外線が強いので、改めて「日焼け止めクリーム」を塗る。
木道には、ところどころに木のベンチがあり、のんびり湿原を眺めている人も多い。
「こんにちは」との言葉が自然に出てくる。そして皆表情が明るく穏やかだ。
山の効用だろう。
所々の木道が濡れていて、近くに清水があった。
万緑や水場に鎖付きコップ

紫の鮮やかなヒオウギアヤメが顔を出している。(写真④)









但し、季節的には、ほぼ終りである。
紫は空に淋しき花あやめ

しばらく行くと、諏訪神社(旧御射山神社)がある。(写真⑤)









この辺りは平安・鎌倉時代から江戸時代(元禄)まで諏訪大社下社の神事のあと、武士が騎射を競った「御射山」で、この東側の山の斜面(階段状の地形)は桟敷席(観覧席)とのこと。(写真⑤-2) 









ここの清流を木橋で渡る。ふとこの水は、太平洋か日本海のどちらに流れるかが気になった。いわゆる「中央分水嶺」の問題である。
帰宅後調べてみると悩んだだけあって、今日辿るなだらかな後半のコース(山彦尾根)が文字通り、「中央分水嶺=日本の背骨」だった。
したがって、この清流や八島ヶ原湿原の水は、諏訪湖を経て天竜川となり、太平洋に流れ込む。
これから、沢渡を経由して、やや泥っぽい急坂をしばらく歩く。
ヤマアザミが時々目に映る。(写真⑥)












展望が開けてきて、北には八島ヶ湿原とその奥に美ヶ原が、南には主峰・車山、蓼科山、そして八ヶ岳が見え始める。
ニッコウキスゲがちらほら咲いている。(写真⑥-2)









最盛期には、この辺りは大群生と聞くがまだまだの感がする。日光霧降高原、那須の大峠の大群生を見た印象からすると、今一つ。
二人の自然保護指導員と会ったので、コース等を教えてもらう。
植物保護のため、二人一組でこの山域を巡回しているとのこと。
蜻蛉がかなり飛んでいる。避暑に来ているのだろう。
以前、7月下旬に谷川岳、越後駒ヶ岳に登った時に、空を覆うくらいの蜻蛉の大群にびっくりしたが、山小屋のおやじは「やつらは、避暑に来ていて、八月下旬にはまったくいなくなる」とこともなく説明してくれた。
キンバイソウの黄色の花が増えてきた。(写真⑦)。









代表的な高山植物である「ミヤマキンバイ」に似た花である。
車山の肩に着く。ここは、ビーナスラインと接するため、大型バス、自家用車で満車状態。かなりの人が歩いて40分の車山山頂を目指す
このコースは直登せず、ぐるっと一周する。
のんびり草花と大展望を楽しみながら登るのだ。
始めは北アルプス、乗鞍岳、木曾御岳。そして中央アルプス、南アルプスと楽しめる。
さらに富士山、八ヶ岳。
突然、雲雀らしい声と、真っ青な空に鳥影が見える。
涼風のなか、恋の囀りはアルプスにも届きそうだ。
間違いなく雲雀だった。意外な遭遇だった。
山頂手前でかのヨーロッパアルプスを代表するエーデルワイスそっくりのウスユキソウが見られた。(写真⑧)









しかし、カトウハコベの一種かも知れない(自信持てず)
程なく、霧ケ峰の最高峰の車山山頂(1925m)。
二等三角点があり、気象レーダーがある。
どこからも見える直径4mのパラボラアンテナの周りは、車山の肩からのハイカー以上に白樺湖側からロープウェイで上がって来た人で大混雑。
蓼科山は雲に隠れたが、白樺湖とリゾートが俯瞰される。
頂上からやや離れたところで、食事とコーヒーを取る。
梅雨明けのため、太陽光線は強く、再度日焼け止めクリームを塗る。
2000m近い高度では通常であれば、100mで0.6cの温度が低下するので、12c近く下界より涼しい筈だが、30c近くあり、下界並である。
但しそこは高原、涼風が来ると爽快だ。
先が長いので、一気に100m強下り、車山乗越へ向かう。途中、人工降雪機があった。
ふと思い出すことがあった。この車山スキー場は南面のため、日中は雪が融け、夜氷結するため、朝はカチカチの氷雪なり、ロープウェー(山頂駅)を降りての急坂で足がすくんだことがあった。怖かったが、もう20年近く前になったかと感慨深かった。
平坦な道はここちよいアップダウンがあり、涼風も吹いてきて、至福のトレキングとなった。振り返ると、気象レーダーの車山がなだらかな傾斜の中に見える。(写真⑨)









信じられないことだが、このゆったりとしたコース(山彦尾根)が、日本の背骨に当たる「中央分水嶺」である。
途中で愛嬌のある名のイブキトラノオを見つけた。(写真⑩)












虎の尾とは、、、しかし、可愛いくて好きな花である。
草原に一本のななかまどがあった。まだ、緑溢れる葉叢だったが、中秋には染まるような真っ赤な紅葉となり、ハイカーを楽しませるだろう。東南方向にかなり傾いているのは、草原でもあり、冬だけでなく通常でも北西の強い強風が吹くのだろう。
高原の中の突起のような、南の耳(1838m)、北の耳(1829m)を経て、
ゼブラ山(1776m)に至る。(写真⑩-2)









ほぼ、霧ケ峰の山域をほぼ一周したことになるが、奥霧小屋と八島ヶ原湿原が一望される。丁度、雲が移動しつつあり、湿原にゆっくりとその影を移していた。(写真⑪)









のんびり山を下ると、現在休業中の奥霧小屋。キャンプ場でもある。
ここには、駐車場からの木道が続いており、ハイカーが多い。
鎌ヶ池は、駐車場側の八島ヶ池とともに、湿原に良いコントラストを与えている。
木道の周りは色んな植物が見られる。鮮やかな黄色のコウリンカ。黒い総苞に囲まれた橙紅色が印象的で何となく愛嬌のある花と思う。(写真⑫)









駐車場近くの展望台の人達が見え始める頃、紫が鮮やかなウツボグサを見つけた。(写真⑬)









別の人も写真に撮っている。
駐車場への道をカットして、鷲ヶ岳に登る。途中で、本日の全てコースが俯瞰される場所があり、印象的だった。
はるか彼方に車山が見え、まさに絶景と言うべきだろうか。(写真⑭)









車山からの後半のコース(山彦尾根)はなだらかなコースにも拘わらず、日本の背骨!
左足(西)の雨水は天竜川を経て太平洋に、右足(東)の雨水は、千曲川、信濃川を経て
日本海へと流れ入るかと思うと感慨深いものがあった。
翌日は美ヶ原高原全域を逍遥したが、霧ケ峰を更に上回る山岳展望(殊に北アルプスが指呼の距離)で、頂上(王ヶ頭)から日本100名山42峰の大展望を楽しんだ。

参考文献:
  深田久弥「日本100名山」(朝日新聞社)
  白山書房編「百名山パノラマ案内」(白山書房)
  田中澄江「花の百名山」(文春文庫)
  青山富士夫「高山の花」(小学館)


写真(クリックで拡大表示):
 ①八島ヶ原湿原と蓼科山
   ①-2ヤナギラン
   ②八島ヶ湿原とシシウド
③ハクサンフウロ
   ④ヒオウギアヤメ
   ⑤諏訪神社(旧御射山神社)
   ⑤-2御射山桟敷席
   ⑥ヤマアザミ
   ⑥-2ニッコウキスゲ
   ⑦キンバイソウ
   ⑧ウスユキソウ or カトウハコベ
   ⑨南の耳手前から車山(気象ドーム)
   ⑩イブキトラノオ
   ⑩-2 山彦尾根(中央分水嶺)からの南の耳(左)と北の耳(右)
   ⑪ゼブラ山から雲移りゆく八島ヶ原湿原
   ⑫コウリンカ
   ⑬ウツボグサ
   ⑭鷲ヶ岳頂上手前から八島ヶ原湿原と車山(気象ドーム)
  
地図:霧ケ峰全域

2010年7月15日木曜日

森林浴(その二)   広渡敬雄

みづならの影の明るき山開き       広渡敬雄

青葉が山々を覆う六月中旬、奥多摩の主峰雲取山に隣接し、石楠花が満開の飛龍山に出かけた。奥多摩から奥秩父にかけての山域は日本有数の石楠花のメッカであり、飛龍山山頂付近の石楠花の群生は殊に圧巻。
但し、山梨県丹波山村の集落から標高差1300m近くを登らなくてはならず、かなりの健脚コースでもある。
伊豆の天城山、奥秩父の西沢渓谷の石楠花はハイカーでも気楽に行けるので、開花期は大変な混雑となるが、この山域は、静かに石楠花の群生に浸れる。
 八王子インターを過ぎ圏央道に入り、日の出ICで下車し、青梅から多摩川に沿って遡上する。
 何年か前、「青梅マラソン」で青梅から川井駅先(東川井)の折返しを走ったコースなので、不思議と風景が鮮明に記憶に残っていて、感慨深い。
懐かしい小澤酒造を過ぎる。
銘酒「澤の井」は、奥多摩の森林が育む清冽で美味しい水から生まれるものと改めて感じられるほど、周辺の山々は溢れんばかりの青葉であった。

 東京は西に山なす新酒かな
この句は、「澤の井」を意識して以前に作った句だ。
東京の水瓶である奥多摩湖で一服する。湖面は流木もなく穏やかで、湖を囲む万緑の山々を映している。
 しばらく走ると、山梨県丹波山村に入る。道沿いの斜面の畑には、ジャガイモの薄紫の花が広がり、葱、蒟蒻、蕨等が植えられている。
 東京都の水利権のある多摩川は、更に延々と奥秩父の笠取山(1953m)の頂上近くの水干(みずひ)源流地まで伸びているが、集落の手前から後山林道に入る。
 少し行くと片倉谷で通行止めとなっており、秘湯で有名な「三条の湯」までのんびりと林道を歩く。「熊注意」の標識がある。そう言えばさっきの山畑の垣も猪より熊対策のようで頑丈だった。
道端に夏薊が繁茂しており、けたたましく出迎えてくれるたのは、ほととぎす。
そう言えば「東京特許許可局」とも聞こえる。古来、和歌、俳句で多く詠まれているため、手練俳句の象徴の様な季題とされているが、緑溢れる森林でしか聞きなれないせいか、筆者にはいつも新鮮に耳に響いて来る。
奥多摩は古来からみづなら、ぶな、桂、栃、タブ等の大木が多く、新緑、万緑、紅葉、冠雪の四季のさまざまな景が楽しめる。
 後山川沿い林道が川床に近い所では、せせらぎの音が急に大きくなり、河鹿の美しい声も打ち消される程だ。河鹿の恋の季節もそろそろ終わりに近づいている。
 大きな黒揚羽がゆっくりと先の方に飛んでいったかと思うと、かすかに弱い硫黄の臭いが漂ってきて、自家発電の音が聞こえて来た。
 三条の湯だった。
源泉の温度が10cの沸かし湯のため、小屋の手前に薪が堆く積まれている。
標高1100m強の地味ながら著名な秘湯。
 既に宿泊客は、雲取山に向かったのか、窓を開け放って掃除する姿が見える。
湯にのんびり浸かりたい誘惑が起きたが、そのまま気が緩んで長居をしてしまうので立ち寄らずに飛龍山に向かう。
雲取山方面とは、逆の南西方面のサオラ(竿裏)峠を目指す。
蕗が繁茂したあたりからからまつの林が続く。からまつ林の道はその落葉が何十年、何百年と降り積もった腐葉土で弾力があり、足裏にやさしい。
枝がほぼ水平に広がる傾向があり、その細やかな束生の葉とあいまって音を奏でる様な趣きがある。殊に新緑、黄葉の折はそう感じる。
雪はもう消えている。今年は、四月まで雪が降ったうえ、寒冷な気候が続いたため、最近まで残雪があったとも聞いた。
みずならの大樹が見え始めるとサオラ峠だった。標高1300m少々。
だだっ広い平らな峠だ。丹波山の集落から直登してくる道もあり、祠がある。
このあたりはみずなら、岳樺、ぶなの大木も多く、森林浴の聖地みたいな感がする。
そのみずみずしい葉が初夏の陽光に透けて、顔に染み込むようだ。
こころの中までじわりじわりと広がって、満ち足りて行く。

みずならは綿虫の来る淋しい木
この句は、この地からそう遠くない多摩川源流の笠取山直下で、すっかり葉を落とした初冬のみずならの大木を見上げてふと口ずさむ様に生まれた句だった。
今、眼前のみずならの大木は、その青々とした葉が燦々と輝く太陽を丸ごと吸い込み、静かな鼓動のように発する酵素やかすかな香りがあたり周辺に漂い、大いなるセラピー効果があるように思う。
森林浴の醍醐味だろうか。(写真①)












その薬事的効果うんぬんより、やはり視覚的、皮膚感覚的なやすらぎが大きいのではなかろうか。
 年輪を重ねた大人たるみずならの生み出す豊かな木陰が広がるにつれ、更にその思いを強くする。
ほとんど、二抱え近い大樹は、悠然と太い幹を縦横に広げ、空も殆ど見えない。
静かだ!と思った途端、夏うぐいすの声が近くで聞こえた。
愛を鳴き交わしているのだ。
峠の南西の方から涼しい谷風が舞い上がって来て、心地よい。
春蝉も鳴いている。
緩やかな登り下りののち熊倉山に着く。三等三角点があり、1624m。
また、ほととぎすが鳴いている。
前飛龍山が見え始める。色鮮やかなミツバツツジが目に飛び込んで来る。(写真②)









丁度、急登が始まった場所でもあり、ほっと息をつく。目の休養をし、喉を潤す。
この急登を経て前飛龍山直下の岩峰に着く。ここは、雲取山、大菩薩峠方面の好展望地だが、ここから石楠花の大群生地が始まる。
まず、白っぽい石楠花。この山域に多い種とも言われている。(写真③)









前飛龍山を過ぎて鞍部に下るあたりは、文字通り全山石楠花一色。
淡紅色の石楠花が谷筋から湧きあがるように山全体を覆い圧巻だ。
その匂いのようなオーラを全身に浴びる。溜め息が出るような美しさ。(写真④)









幹も枝も縦横無尽の繁茂ぶりだ。
鞍部から登り直して、飛龍権現で縦走コースと遭遇するがそのまましばらく登ると
飛龍山山頂。のんびりと湯を沸かしコーヒーを飲む。
その芳しい香りが16cの爽快な頂上に広がる。
奥多摩の主峰雲取山に標高で優るものの展望もそれほどなく地味な山だ。
2077mの山頂標識と「山梨100名山」の標識がある。
日本100名山の東京都最高峰「雲取山」の喧騒と比べ物にならないくらいの静寂な山である。
復路も石楠花、ミツバツツジの群生を満喫しながら下る。(写真⑤)









標高1500mあたりから春蝉が聞こえ出す。生態上の標高があるのだろう。
サオラ峠近くの、みずなら、ぶなのプロムナードのような樹林帯は、まるで森林浴のメッカのような地点。心置きなくゆっくりと下った。
足裏にやさしい弾力のある落葉道で心地良かった。(写真⑥)












参考文献:日本の樹木―山渓カラー名鑑―(山と渓谷社)

写真(クリックで拡大表示):
  ①サオラ峠のみずならの大樹
  ②ミツバツツジ
  ③石楠花(白色)
  ④石楠花 (淡紅色)
  ⑤前飛龍山手前の岩峰から熊倉山、サオラ峠方面
  ⑥サオラ峠手前のみずなら、ぶな樹林

2010年6月23日水曜日

森林浴   広渡敬雄

春蝉や切株は地に還りつつ       広渡敬雄

 青葉が目に鮮やかな六月上旬、木曾ヒノキのメッカである長野県上松町の赤沢自然休養林に遊んだ。
 樹齢500年近い木曾ヒノキが堂々たる風格で立ち並ぶ景は壮観で、20年ごとに伊勢神宮の神木として伐り出された跡も残り、歴史の重みをひしひしと感じた。

 日本を代表する自然休養林(※1)として森林浴発祥地(※2)としても名高く、年間10万人のハイカーが訪れるフォレスター(※3)推薦の森林でもある。
1 特に風景が美しく森林を利用した様々なレクレーションに適している森林。自然探勝、登山、ハイキング、キャンプ等全国荷90ヶ所。

2 植物の発散する酵素や微妙な香りには殺菌浄化作用が含まれ、森林の四季の色彩(殊に新緑、万緑、紅葉の頃)、爽快な大気も含め人にとってセラピー効果がある。森林は、二酸化炭素を樹々に固定化する(貯める)働きもあり、地球温暖化を抑える効果も大きい。

3 国有林の保護管理の最前線(営林署、森林事務所)で働く森林官    
 昭和30年代までは、伐採した材木を運んだ森林鉄道は木曾谷全域で57線、428kmに及んだとも言われるが、現在は、観光用として小さなディーゼル機関車に牽引された客車が1.1kmの渓流沿いのコースを走る。
 黒部渓谷鉄道もそうだが、トロッコ列車は郷愁と童心を蘇らせ、発車する前から心の躍動がある。

 その発着地である赤沢橋には、「森林浴発祥の地」の石碑とともに、熊やカモシカの剥製がある「森林資料館」、名物のアメリカ製蒸気機関車「ボールドウィン号」が展示された「森林鉄道記念館」がある。

 また、俳人松本たかしが昭和28年に檜山の大景を詠んだ句碑がある。
眠りゐし檜山は餘木あらしめず

 目の前の清流・道川(どうがわ)には吊橋もかかり、何人かの子供達が水遊びに興じていた。

  木曾の子の言葉きらきら水眼鏡

 江戸時代の支配した尾張藩が木曾の山地を立入り、伐採禁止(留山:とめやま)とし「ヒノキ一本首ひとつ」と厳しく保護育成したため、秋田スギ、青森ヒバ等とともに、日本三大美林の「木曾ヒノキ」となったが、ヒノキの他にサワラ、ネズコ(ひば)、翌檜(あすなろ)、高野槙が木曾五木として大事にされてきた。

 まず、トロッコ列車(赤沢森林鉄道)に乗る。
 切符は洒落た薄い檜板(8cm四方)で、香りが芳しい。
 ゆっくり1.2km強の軌道を走り出す。石楠花の鮮やかな花の群れが現れる。
 河鹿の声とともに、ひぐらしのような蝦夷春蝉の声が静かな森林の中に響きわたる。

 渓流沿いの軌道なので、檜林の間から道川の瀬や滑(なめ)が見える。
 瀬越しの水音が耳に心地良く、畳大の平たい一枚岩を水が滑るように走る滑が美しい。
 芭蕉のような葉越しに水芭蕉の花も見え隠れする。もう少し鑑賞したいとも思うが動く列車からの景、直ぐ視界から消える。

 時速10キロの速度の嵐気の何とも言えぬ爽快感は、樹林のセラピー効果だろうか。
 途中で伊勢神宮に20年に一度の奉納する神木の伐採地が見える。
 神事ゆえ、鋸を使わず、斧のみでの伐採のため、伐り株はすり鉢状であり、伐り株には白い幣としめ縄が施してある。
 ついつい伐採した檜の大木をこの深山から伊勢まで運び出す辛苦を思う。

 程なく、終点の丸山渡に着く。列車の先頭の牽引車(デーゼル車)が切り離されて、再び最終客車向に接続される。
 殆どの乗客はそのまま乗って戻ることはなく、いくつかの散策コースに歩き出す。

 一番長く、美林を堪能出来る「冷沢・上赤沢コース(3km)」を取る。
 ややアップダウンはあるが好展望の「赤沢台」もあり、人気のコース。

 まず、道川本流の本谷橋を渡る。「熊注意」の看板。元々は彼らの生息地。
 出て来ても不思議ではない。
 黒い魚影が過ぎる。岩魚か山女か、この時期は雪解川で身も締まっていると言う。

 檜の根が地表に出ているため、一面にチップ(木屑)を敷き詰めてあり、足に優しい。
 勿論檜の根の保護にもなるのだろう。

 地面に大きな朴の枯葉があったので見上げると、豊かな朴の葉群れの中に白く神々しい朴の花があった。緑に溢れる森の中では存在感があり、芳香が漂ってくる感もした。
 亡き師・能村登四郎先生が愛された花だったことをふと思い出した。

 伐採地のためか明るく、六月の木曾の空は殊に広く青く澄んで見える。
 何時ごろ、伐採されたかは、定かではないが、古い切株は朽ち果てて、殆ど土となりかけているものもある。土となりまた新たなる檜の新芽を育てるのだろう。
 「生死」の輪廻を思う。

 まだそう古くない幾つかの切株からは、ひこばえや新芽が伸びていた。これらの新芽が1m位の樹高になるには十年余を要するとも聞くし、その後の間伐等で生き残って大木になるのは、ほんの僅かの檜だろう。

 登り詰めると「冷沢峠」となる。
 ここは、檜の巨木が林立しており、見上げる空は狭い。首が痛くなる程の樹高だから30mはあろうか。

 巨木が空を覆い、地面には殆ど下草がない。植物の生育にとって、太陽の光の恵みを納得させられる。
 地表には、ほんの少し羊歯が茂っている。「ミヤマイタチシダ」と名札があった。
 そう言えば、片栗も落葉樹が芽吹く前に花を咲かせ、種を残す。
 そうしないと樹木が繁茂して太陽が遮られ花を咲かせることが出来ないからだ。

 ゆっくりと下ると「椹窪(さわらくぼ)」。
 このあたりは木曾五木のひとつである椹の天然林が広がり、その大木がある。
 檜と椹はよく似ており、区別は難しいが、ガイドには葉先が尖っているのが「サワラ」、尖っていないのが「ヒノキ」とあった。

 ここから少し登ると「ひのき大樹」。
 木曾では直径60cm以上を大樹と言い、木曾全域で18,000本が確認されており、この赤沢地域には2,690本があると言われる。
 この「ひのき大樹」には、ひときわ大きな檜が集まっており、空は殆ど隠れるほどで、この晴天でも薄暗い。

 ベンチに座っておにぎりを食べ、さっきの「本谷橋」で汲んだ清流を飲んだ。
 じわっと喉元に広がる甘さ。檜のエキスなのかも知れない。
 森林鉄道がカーブをまわる時の警笛がかすかに聞こえる。距離的にはそう遠くはない筈だが、巨木の繁茂する林だと音の伝わりも緩まるのだろうか。
 蝦夷春蝉が鳴く中、時々、駒鳥の囀りも聞こえる。
 鮮やかな苔が生えている切株があり、その緑が鮮やかだった。

 また、「椹窪」に戻り、清流の橋を渡る。橋から流れを見ているとアカヤシオの一花が瀬の中で流れず漂っていた。淀みなのだろう。
 ここにも山女らしい魚影が見えたが直ぐに消えた。

 ここからはやや急な登りで「ほうのき峠」に向かう。
 文字通り、檜、椹の姿が消え、朴、桂、コナラ、ミズナラが増える。
 これらの樹々は落葉樹で、丁度新緑の美しい時期。
 殆どが、木曾五木等の常緑樹の赤沢自然林では、珍しい林相だと言う。
 殊の外大きな朴の葉は、日差しを返しつつも透けて美しく、神々しい純白の花からは、甘い芳香が漂っていた。

 峠より「赤沢台」に向かう。東屋のある展望台に着くと、眼前に残雪が輝く木曾御岳の全容が見える。息を飲む美しさだ。まだ六分位雪が残っている。
 この展望台の周辺も、眼下の森も檜の樹林帯。その中に浮かび上がるような御岳。
 三名の先行者もしばらく声も立てずに見入っていた。

 遠望の御岳を見るたびに、眼前に果てしなく拡がる「檜」の森の広大さを改めて感じた。
 前山に遮られて、乗鞍岳は頂上あたりが僅かに見えただけだったのが心残りだった。
 名残を惜しみつつ「赤沢台」を降り、のんびり下って赤沢橋に戻った。
 途中、大きな「翌檜」の樹があった。明日は檜みたいな立派な樹木になろうと志を立てたのでその名が ついたと言われるが、なかなかどうして檜も圧倒する巨木だった。

 囀りや翌檜は空押し上げて

 吊橋を渡って「中央アルプス」の木曾駒ヶ岳、宝剣岳展望の「見晴台」に寄り、「大山蓮華」繁茂地にも足を伸ばしたが、まだまだ蕾だった。
 途中、大きな「根上がり檜」に出会った。かって伐採した切株の上に種子が落ち、発芽し成長した後に元の伐採木の切株が朽ちて消えたために生じたもの。
 この大きな「檜」と巨木として伐採された「檜」、その二本の「檜」を思うとその長い年月に感慨深いものがあった。


・参考文献:「林野庁フォレスターが選んだ森と樹木のフィールドガイド」(山の渓谷社)
     「赤沢森林鉄道」(上松町観光協会)
     「赤沢自然休養林散策マップ」(木曾森林管理署)

・写真(クリックで拡大表示)

1木曾五木











2赤沢森林鉄道









3本谷橋












4冷沢峠の檜の巨木












5檜大樹の掲示板












6同上の苔むした切株









7赤沢台からの木曾御岳









8根上がり檜












9見晴台からの中央アルプス(木曾駒ヶ岳、宝剣岳)









赤沢自然休養林は、「森林浴の森100選」「21世紀に残したい日本の自然100選」
「かおりの風景100選」にも選定されている。



2010年4月3日土曜日

スノーシューの雪上ハイキング   広渡敬雄

山笹の擦れあふ音の春めきぬ       広渡敬雄

今年の二月、仙台の近郊の船形山で高齢の登山者が遭難した際、翌朝の捜索隊の全員がスノーシューで入山していた。以前ならば、樏であっただろう。
樏(ワカン、輪かんじき)は、古今から雪国での生活に不可欠なもので、竹や木を曲げて作られていたが、今は、金属製のものが多い。

   樏をはいて一歩や雪の上   虚子

最近、スノーシューでの雪上ハイキングが静かなブームである。
特に奥日光の戦場ヶ原~湯元温泉あたりは、二月から三月にかけては、ハイカーが絶えることがない。
スノーシューは、特に練習や訓練をせずとも、たやすく雪上を歩きまわることが出来るし、誰も踏んだことない雪原を、どこ構うことなく歩き回れる。
そのことで、最高の開放感が味わえ、皆自然と笑顔となるから不思議である。

筆者も、雪山や雪原でこれまで樏、アイゼンを使用してきたが、雪原ではスノーシューに限ると思い始めている。接地面積が広いため、新雪でもそう沈まないし、かなりの硬雪も裏側の金属製のツメで滑りにくい。

山登りでは、やはり山に登ることに集中し、呼吸も乱れるためか、休憩時以外には、余裕をもって周りを観察することがないが、スノーシューの場合は視覚、聴覚、臭覚を自然に委ねることで、おのずから自然の方も自分に集まって来る感がある。

三月中旬、奥日光・戦場ヶ原は雪がかなり少なくなっていたので、その奥の小田代ヶ原まで足を伸ばした。
戦場ヶ原南端の赤沼パーキングから雪解けでやや水量の多い湯川に沿ってしばらく歩く。

  折れ羊歯の浸りて動く雪解かな  

湯川には、番の鴨がのんびりと遊んでいた。
冬季には氷点下20度以下にもなるこの地で、大丈夫かなと心配もしたが、彼らにとっては要らぬお節介だろう。雄の青首が印象的だった。

風のない氷点下20度の朝は文字通り「ダイヤモンドダスト」の世界だという。
是非一度は見てみたいものだが、最近は冬季でも滅多に見られないそうだ。
湯元温泉方面への人気コースの分岐を過ぎると一気に静寂の世界となる。
橋を渡ったところで、膝までのロングスパッツとスノーシューを装着する。(※写真①)









スキー同様ビンデングで靴をスノーシューに装着するが、靴が登山靴なので、スキー靴のような圧迫感がなく開放的で良い。
といっても、第一歩目は少々浮き上がった感じもするが、もう二歩目は足になじんでいる。

大きなみずならの樹が、雪が融けて顔を出した笹原のなかに立ち現れる。
葉を落とした高枝に、やや薄緑のやどりぎが眩しい。
やどりぎはこの季節しか太陽を独占出来ないためか、精一杯生育しているようで、早春の色を発散している感もする。

    やどりぎにさみどりの日の当たりけり

その太幹の中程に機械で開けたような小さな穴を見つけたが、あとで調べると赤ゲラ(きつつきの仲間)の仕業らしい。そういえばそれらしい鳥影も見えた。

雪解けはこの数日の暖かさで一気に進んでいるようだ。燦々とした春日では、1日30センチ以上も融けるとも言う。
時々、ゆるやかな傾斜もあるが、総じて平らなコース。
両手のストックを交互に雪に差し込んで白樺を縫うように進む。
一応夏道を行くが、どこをどう行こうと自由なのが、スノーシューの雪原歩きの醍醐味。
夏場なら1メートル近い丈の笹や藪で歩けないところだが、ショートカットして歩く。
 (※写真②)









突然、北側からのスキー跡と交差する。山スキーの連中にとっては傾斜が少ないので、まあクロスカントリースキーみたいなものか。(本格的な山スキー ※写真③、④、⑤)



























戦場ヶ原方面に一直線にシュプールが伸びている。

   山笹にばさと飛び散るスキーの雪

しばらくして、やや風が出てきたと思ったら、ぱらぱらという音がした。
驚いて見上げると何かきらきらするものが、降ってくる。
霧氷だった。今朝は冷え込んだので、枝々の霧氷が風と陽気で落ちてきたのだ。
その落ちてきた霧氷を口に含む。冷たいが、歩いて来てやや温まった身体には心地良い。

もう30分は歩いただろうか。
雪上に黒豆みたいなものが見える。鹿の糞だ。
このあたりは、鹿の害がひどく、たしか小田代ヶ原あたりも鹿に荒らされないために
進入防止柵や電流柵があると聞く。

奥日光から金精峠を越え、尾瀬ヶ原にも日光の鹿が侵入し湿原を荒らしていると言う。
航空写真が写した「尾瀬ヶ原」には無数の鹿の踏み跡が見られる。

幹の皮が剥がれて痛々しい姿をとどめる樹があった。
鹿が食べたのか、あるいは角研ぎか。
もう笹も雪上に顔を出しているので、それを食べればとも思うが、彼らには小さな木の皮も美味いのだろう。

遠くで雪崩の音がする。
この季節の午後は雪崩の時間。まあ今いるところは全く心配ないが、、、、。
関東以北で最高峰の奥白根山(2577.6米)の前衛峰の外山(2204米)、湖上山(2109米)の谷筋だろうか。
真近だと、腹にどすんと響く衝撃がすざましいが、遠いためか遠花火の音の様でもある。
ふと、藤田湘子の第一句集「途上」の奥日光と前書きの「引鴨に一夜の雪や前白根」を思い出した。若き湘子の叙情の迸る筆者愛唱の句だ。

振り返ると自分が歩いてきた跡が延々と続いているのも、雪原歩きの嬉しさのひとつで、爽快な労働のあとがくっきりと残っており、自分を褒めてあげたい気持ちにもなる。
このあたりも、普通の靴なら30cmは沈むだろうか。
雪原は一度踏み抜くと、靴の周りの圧雪が固まり足を雪原に出すのも難儀なものとなる。

落葉した樹々の上から、早春の太陽が照る。
この季節、雪と太陽の双方からの光線は眩しい。
休憩がてらに、顔と首筋に日焼け止めクリームを塗り、サングラスをかけた。

白樺やぶなには、しっかりと冬芽がついている。
唯一冬も葉を落とさない石楠花にも尖った冬芽が見える。
彼らも今か今かと出番を待っているようにも見え、いじらしい。
森の精は休んでいるのだろうか。静かだ。

ぶなは根の周りの雪が、あたりよりいち早く融けて、丸い窪地となる。
その窪に兎らしい糞と小便あとの沁みた黄色い雪があった。
鹿、兎はその繁殖力がすざまじく、当然その足跡等もよく見られる訳だ。

このぶなもあと1ヶ月少々で一気に芽吹き、目に鮮やかな新芽そして新緑の葉を漲らせることだろう。まさにスプリング真近と言える。

戦場ヶ原・三本松の民宿の主人から聞いた話しだと、戦後海外から引き揚げて戦場ヶ原の東の原野(当然に大半は林)の開拓に従事。片道1時間半をかけて、下の中禅寺湖の小学校まで通ったとのこと。桜も湖畔より1ヶ月弱遅く、霜の降りないのは6~9月の4ヶ月間のみ。
そんな厳しい自然環境のため、米麦でなく高原野菜栽培だったと言う。
但し、最近は、地球温暖化現象のためか、以前より半月以上も、季節の訪れが早まったと首を傾げていた。

程なく、戦場ヶ原展望台に着く。
まだ一面の雪原だが、白樺がほど良い間隔で茂っている。真正面に太郎山(2368米)。
どっしりと存在感あり、その山麓あたりが光徳牧場かなと目処を立てる。
しばらく、雪の上に腰を降ろし、展望を楽しむ。確かな春の息吹が光線からも感じられる。
こんな時に、尻に敷くのは、もう20年以上前から愛用の「狸の尻当て」。
何となく「またぎ」になった気分をいつも味わう。さすがに雪の冷たさも湿りもない。

ふたたび、誰一人歩いていない雪原を小代田ヶ原に向かう。

みずならの大木に洞がある。よく栗鼠やヤマネの巣があるが、棲んでいる気配はない。
この大木には、「キケン注意」の木札が付いていた。上の大枝が折れて落ちてくるらしい。
大枝を空に吸われる様に拡げている姿は感動的だ。
ふと拙句「みづならは綿虫の来る淋しい木」を口ずさんでいた。
雪原にやや黒い小粉が散ばっていたが、みずならの樹皮だろうか。

どこを歩いても良いということは、どの景も同じであるため、霧や吹雪でホワイトアウトの時は、磁石等で位置を確認しないとパニックに陥る。
筆者も何度か経験しているが、一瞬に霧が出る場合もあり油断は出来ない。
磁石、高度計、GPSがあれば、安心だ。

時々、兎か狐らしい小動物の足跡がある。
北海道の山では、羆の足跡、糞で緊張したこともあるが、奥日光のこの季節では、熊はまだ冬眠中だろう。但し、春以降のこの場所は熊避けの鈴、笛が必携だ。

雪面にコナラの葉が、葉脈だけの標本みたいになって落ちていた。
その葉先に少し融けてきらきらと光る雪片が美しい。

遠くから、トントントンと木を突く音がして、しばらくすると止んだ。
そしてまた始まる。先ほど見た、赤ゲラやコゲラだろうか。
静謐な時間の中をコゲラが樹を突く音が小気味よい。
この空気の何とも言えぬ豊かな安堵感!

小代田ヶ原の鹿進入防止柵を入ると、戦場ヶ原と違いやはり雪が深い。
兎かそれを追う狐の足跡が誰も触れてない雪原に遠く伸び消えている。

さあ、雪上の最大の楽しみの食事の場所は、小田代ヶ原の大雪原の真ん中という贅沢。
今度は、奥日光の主峰・男体山(2398米)が真正面だ。
ガスコンロで湯を沸かし、クロワッサン、ハム入りサラダ、シチューにコーヒー。
そして、デザートの伊予柑が美味い。

雪を融かしても良いが、今回は水筒の水を使う。
のんびりと小一時間を過ごす。この季節の午後は、日が差しているとそう寒くもなく
雪原一面に広がるコーヒーの香りの至福感に浸る。
寒さが厳しい時は、毛糸の目出し帽が不可欠だが、今日は不要のようだ。
そう言えば煙草を止めて10年くらいになるのかな、、、以前なら紫煙を胸一杯吸い込んでいたし、うまかったが、、、。
スノーシューの良さは、登山の様に気合を入れずに日常と同じ感覚で歩き出して、殆ど息も乱れず、直ぐに非日常の世界に浸れることかも知れない。
自然との肩肘を張らずに向き合うことも最大の魅力なのだろうか。
登山は登山で、その良さも限りなく魅力的だが、、、。

のんびりと往路を戻る。自分が来たトレースを忠実に辿る。
このトレースはホワイトアウトの際には文字通り生還の唯一の道標ともなるが、雪が降り出したら、あっと言う間に消えてしまう。

のんびり歩いて1時間少々で赤沼パーキングに着く。
戦場ヶ原の白樺の疎林を見た後、湯元の温泉に浸かり千葉の自宅に戻った。


参考文献:「雪上ハイキング・スノーシューの楽しみ方」 瀬戸圭祐著

写真: ①スノーシュー
    ②戦場ヶ原展望台手前
    ③岡山県津山・奥津温泉近郊 泉山(1209米)3月春雪山行
    ④、⑤ 日本百名山、新潟県魚沼・巻機山(まきはたやま、1967米)
     ④:割引岳山頂、⑤:御機屋
     ともに春山スキーのメッカ(勿論、スノーシューもOK。)
     5月の連休でこの雪量!、以前はスノーボーダーも登って来ていたが最近は見かけなくなった。

地図:戦場ヶ原付近

2010年3月4日木曜日

マッターホルン     広渡敬雄

悴みて登頂時刻のみ記せり     広渡敬雄
 
(1) ツエルマット
 年が明けて早々、NHK・BSハイビジョン「世界の名峰(グレイトサミット10)」、「世界遺産への招待」アルプスのアルプ(牧草地)・少女ハイジ&クララが放送され、20年前に登ったマッターホルンの尖峰&ゴルナー氷河、メンヒ山麓(ベルナー・オーバーラント)の広大なアルプを思い出した。
 日本山岳会の岳友4名と年号が平成と変わった1989年8月パリ経由ジュネーブ空港に降り立ち、レマン湖を巡って、マッターホルンの登山口、ツエルマット(1620米)に着いたのは、夕刻だった。
 夏のスイスの夕暮れは8時近く、しかも薄暮が長い。自動車が締め出された駅前は、馬車と電気自動車が迎える。氷河から豊かな水量の乳白色の川が、町の真中を流れており、その両岸に瀟洒なホテルが連なっていた。
 ホテルのどの窓にも赤いゼラニュームの鉢が飾られ、流石に観光立国の感がした。
 この町は、本格的な登山者、ハイカー、山岳リゾートの人達、観光者と様々な人で溢れていた。感心したのは、欧州のハイカーの姿(服装、身振り、醸し出す雰囲気等)がスマートに決まっていることだ。
 日本人のハイカーの姿はどうしても野暮ったい。国民性によるのだろうか。
 早速、山岳博物館を見学。初登攀者ウインパー愛用のピッケル、悲劇の滑落の要因となった切れたザイル等が展示され、ひしひしとこれからの厳しい登攀を実感した。             
 マッターホルンは幾多の困難な試みの末、1865年7月14日、エドワード・ウインパー他6名が、今般の我々の登山ルートと同じヘルンリ稜から初登攀に成功するも、帰路に頂上直下の肩の雪田で1名の墜落が他の3名をも巻き込み、無事下山しえたのは、3名のみという悲劇的な結末となり、魔の住む山と畏怖されたことで有名である。
 その後、より危険な困難なルートからの登攀が試みられた。
 その北壁は、アイガー、グランド・ジョラスとともに欧州アルプスの3大北壁とされ、それを征服しうるのは、先鋭的なエリート登山家とされた。(※1)
 それらの北壁をさらに冬季に単独でなしえた日本人登山家・長谷川恒夫氏は、現在でもその栄誉を当地で語り継がれているが、その後ヒマラヤ・ウルタンⅡ峰で雪崩で遭難死した。
 参考:写真①、②






















(2)ゴルナーグラード
 翌日の早朝、散歩の途中で初めて見たマッターホルンは、これまで写真で見たのとはまったく違う圧倒的な高度感で迫り、少し左に頭を傾げた独特の鋭鋒が一気に天に直立する岩峰である。
 朝日が頂上から徐々に下方へ金色に染めあげ、吸い込まれるような神々しさであり、あの山頂に立つかと思うと思わず全身が身震いした。
 まず、ツエルマットの最もポピラーなハイキングコースでの脚馴らしの意味もあり、赤い登山電車で3135米のゴルナーグラードの展望所に向かう。
 既に高度は日本No2の高峰・南アルプス北岳とほぼ同じだが、高山病の兆候も出ず安心した。
 眼前には圧倒的迫力で、アルプス第二の高峰モンテローザ(4634米)、「白銀の鞍」との美しい異称を持つリスカム(4527米)、ブライトホルン(4164米)そしてお目当てのマッターホルン(4478米)、さらにダン・ブランシュ(4357米)等々がほぼ360度に広がる絶景!
 マッターホルンは、海抜では他の岩峰には劣るものの、ドイツ語で「平地から突き出た角」の名の通り、周りの氷河から一気に1500米を突き上げる高度差は、他を圧倒する雄姿である。
 明日からあの頂上を目指すかと思うと身体が熱くなり興奮を押さえるのに困った。
 また、モンテローザ直下からのゴルナー氷河の白い眩しい大河の流れには、ただただ圧倒された。
 平成11年に上梓した第一句集『遠賀川』のあとがきに「始めたばかりの俳句でこの稀有な広大な氷河を表現しえないだろうか」と書いた心の高ぶりは、今にして思い出しても懐かしい。欧州最大の氷河はこの世のものでないオーラを発していた。

   いにしへの音秘め氷河謐かなり

 記念撮影のあと、のんびりとハイキングコースをリッフェルベルグ駅(2582米)迄下る。このコースはマッターホルンを常に正面に見つつ、アルプ(牧草地)を下る。
 途中に同峰を逆さに映す有名なリッフェルゼー(湖)を通るため、人気コースでもある。
 快晴の中、風ひとつない湖面にやや青みを帯びた逆さマッターホルンが映っていて、皆で歓声をあげた。
 牧草地の所々の岩陰から顔を覗かせる「マーモット」という草食系のネズミ目リス科の可愛い動物が時々見かける。危険を予知するとホイッスルのような警戒の鳴き声を放つ。みやげもののログマークにも多く使用される人気者だが、中世にはペストの伝染病の媒介者として恐れられた。(※2)
  参考:写真③、④、⑤、⑥




























(3)ヘルンリヒュッテ
 いよいよマッターホルンの頂上を目指す日となった。
 1620米のツエルマットからロープウェイでシェバルゼー迄上がる。ここの屋外レストランで、燦々とした陽光と爽快な山気の中、至近距離からのマッターホルンは覆いかぶさる感じである。
 8月でも風雪があると聞くと只々好天を祈るのみ!
 2時間かけて本日のベース基地ヘルンリヒュッテ(3260米)まで、マッターホルンの山懐に吸い込まれる様な径をゆっくりと登る。
 程なく、風もなくスイス国旗がだらんと垂れているヒュッテに着く。綺麗に清掃されていて気持ちが良い。
 早速、ビッヘル・メインレッドという長身の30歳くらいのガイドを紹介される。
 彼に命を託すザイルを組んでもらうわけだ。がっちり握手して、ヘルメット、ハーネス(安全ベルト)、アイゼン、カナビラの点検を受けた。後から聞く所によると、彼らガイドは、この点検時に請け負う登山者の力量を即座に判断するという。
 この時、自分が持っていたリチウム電池のライトに彼のみならず他のガイドも大変な関心を示し、マ峰登頂後に是非譲って欲しいと懇請して来た。
 普通の電池のライトとの光度の強さ、耐久性の違いを仄聞していたのだろうか。
 マ峰登頂後にもアイガーの隣のユングフラフかメンヒに登るので譲れないと告げると、残念だ!と首をすくめ無念さを手振りで示した。
 最近では、LEDライトが主流になっているのを思うと隔世の感がする。
 マ峰は午後からは必ず天候が悪化するので、未明から登攀し、昼過ぎにはヒュッテに戻らないと滑落、落石、疲労凍死、雪崩等のリスクが高い。
 標高差1218米、平均斜度39度の岩峰を、途中のポイント迄所定の時間で登り切らないとガイドは強引に降ろす。
 一緒に行った4名全員の登頂を期したが、結果的には、頂上を踏めたのは自分含め2名だけだった。
 明日は真っ暗闇な未明に岩壁登攀のスタートとなるため、夕暮れ時に視察を兼ねて取り付き地点に出かけたが、最初から15米の岩場。ガイドが誘導はしてくれるが、一応ルートを頭に叩き込んで、眠りについた。
  参考:写真⑦









(4)マッターホルン山頂
 翌朝未明4時起床、食事後同25分スタート。
 外は暗いので明るいヒュッテ内でガイドとザイルを結んだ。いよいよ登るんだ!と緊張が走る。扉を出ると、寒い! 氷点下か。
 満天の星と下弦の月のなか登り始める。
 遥か下に、ツルマットの町の明かりが鮮やかなイルミネーションのように輝く。
 まずは、4003米のソルベイ小屋までの高度差750米の登り。
 休みなく(水、食料の補給なく)3時間内で登らなくては降ろされてしまう。
 登り始めて1時間強で日の出。自分の顔に眩しい朝日が、刻々とマ峰の頂上から下に向けて岩峰を紅に照らし染める。その美しさは別世界の感もするが、岩壁に取りついていてのんびり鑑賞する余裕なんてない。

   くれなゐの朝焼け沁むる岩の肌

 小屋の直下のモズレイスラブは、狭く上からの下山者との離合時が最も危険とは言われていたが無我夢中で記憶にはない。
 とにかく水を飲みたかったが、ガイドに「NO!小屋まで我慢!」と言われ辛かった。
 滑落のリスクがあるから許さないと聞いた。
 必死な登攀の末、何とかam6:20にソルベイ小屋に着く。
 ガイドから「お前は抜群に早い!」と言われ、嬉しかった。
 頂上まで行ける!
 十分に水、食料を口にする。無事下山すると、小屋の登頂記録ノート(永久保存?)にサインが出来ると励まされる。冷気の中、遥か下に望まれる谷間のツエルマットがようやく明るくなって来た。宿泊したヘルンリ小屋もマッチ箱のようだ。
 ガイドはヘルメットも装着せず、小屋まで常に先頭立ち、勝手知ったルートをわけなく登る。
 ロープを固定してルートや手足をホールドする位置を指示し、登ってこい!と言う。
 ガイドを雇わない登山者はルート探しに時間を要して、下山時の大渋滞の要因となるため、スイスのガイド達からは悪評である。
 いよいよ核心部を経て頂上までの高度差490米。
 しばらくして有名な北壁の縁の雪田に出る。傾斜35度。
 アイゼン装着し、慎重にステップを切って登る。既に3時間以上900米近くもの岩壁登攀を続けているので、腕力、指の握力が疲労で弱まっている。
 頂上近くに7~8米の直立の岩場があり、息も乱れてきている上にグリップが弱く、折角太いロープが張られているものの、もたもたしていたら、ガイドがアイザンレンしたロープを引っ張り上げ、身体ごと持ち上げてくれて有難かった。
 無我夢中で疲れて痺れる腕を励まして攀じ登った。もう一度小さい雪田を登り切ると、頂上のマリア像が見えてきた。(これはどうか定かではない。)
 頂上だった。ガイドとがっちり握手し、抱き合った。
 彼がGood! you are good!と言ってくれた。
 こちらはthank you!と二度叫んだ。
 文字通り雲ひとつない快晴!
 フランスのモンブラン方面、これから登るベルナー・オーバーラントのアイガー、メンヒ方面、ゴルナーグラードで見た四囲の鋭鋒が見渡せる。
 眼下には雄大なゴルナー氷河、そしてツエルマットの町。
 煙草を一本吸う。
 やや遅れて同行の仲間のひとりも到着。熱い握手、抱擁、自然と目頭が熱くなった。記念撮影は仲間&ガイドと。頂上は80米くらいの長く細い岩稜で、両方ともスパット切れ落ちている、世に言うナイフエッジだ。
 ガイドが30米位先のイタリア側の頂上(山頂表示板か国境の十字架が指呼に見え、何人かの登攀者が見える)まで行くかと訊ねる。体力的にも限界に近い(下山は登り以上に神経、体力を使う)。
 苦笑しつつno thank you!と答える。
 もう二度と見ないだろう絶景に名残りを惜しみつつ15分位で頂上をあとにする。
  参考:写真⑧、⑨





















(5)下山そしてメンヒ
 下りは登りとは逆にこちらが先に下りる(ガイドはザイルでホールド)。
 雪田では怖いもの見たさに、その縁近くまで行ってかの北壁を望む。
 下から1500米の絶壁。かってここを登攀した女性登山家今井通子の偉業をひしひしと感じつつ、ソルベイ小屋に寄り、登頂記録ノートにサインをする。
 ガイドが証明のサインをしてくれ、おめでとう!と言ってくれる。
 体力的には疲労のピークに達していてきついが、心は満足感で満ち溢れている。
 さらに、慎重に慎重に岩壁を750米下りて登山基地のヘルンリヒュッテに到着。
 ザイルを外す。やった!という感激よりももう死ぬことはないという安堵感が先に出た。ガイドと固い握手をし、抱き合いお互いの背を叩きあった後に記念撮影。
 そのまま、休息もせずツエルマットまで戻る。
 夕方に着き、初登攀者ウインパーの墓に詣でる。
 そして、多くの他のマ峰登山の犠牲者の墓に深々と頭を垂れた。
 その後、登頂成功を祝して仲間達とドイツビールの乾杯を重ねて夜が更けていった。
 翌日、やや二日酔いのまま、改札口もないツエルマット駅からアイガー、メンヒの登山基地であるグリンデルワルトに向け、発車ベルもない電車が走り出す。
 広大なアルプの上のそそりたつ、アイガー北壁と氷雪のメンヒ。
 翌々日の朝、ユングフラフ氷河のクレパス(割れ目)を慎重に越え、岩壁に取りついた。
 そして、昼過ぎに氷結した雪のメンヒ山頂にアイゼンを踏み込み、ピッケルを打ち込んだ。キャンキャンという氷雪の音がいまだに耳に残る。

   ピッケル弾く万年雪や天近く

   参考:写真⑩、⑪、⑫





























(1) ※1:マッターホルン北壁初登攀 (1931年、標高差1500米)
      グランド・ジョラス 同上  (1935年 同上 1800米)
      アイガー     同上   (1938年 同上 1800米)
   話題の映画「アイガー北壁」は、3月20日より、全国一斉に上映される。
   また、新田次郎『アイガー北壁』も好書である。 

(2) ※2:マーモット:ウイキペディア(wikipedia)
  
(3)写真
写真① ツエルマットとマッターホルン
       (正面がヘルンリ稜、右側が北壁)
写真② ツエルマットのホテル、氷河からの乳白色の川
       (どのホテルのどの窓にも赤いゼラニュームの鉢が飾られている)
写真③ 朝日を浴びるマッターホルン
写真④、⑤ ゴルナーグラードの展望台から
 ④ 左:モンテローザ、中央:ゴルナー氷河、その右:リスカム
 ⑤ マッターホルン
写真⑥ リッフェルゼー(湖)の逆さマッターホルン
写真⑦ ヘルンリヒュッテとマッターホルン
写真⑧ ヘルンリ稜を登る
写真⑨ マッターホルン山頂とガイドのビッヘル・メインレッド
    後方はイタリア側山頂
写真⑩ 下山途中 雲の湧くマッターホルン山頂
写真⑪ ツエルマットのウインパー他の遭難者の墓
写真⑫ ベルナー・オーバーラントの広大なアルプ(牧草地)
    左:アイガー(北壁)、右:メンヒ  

(4)参考文献:『スイスアルプス・ハイキング案内』(小川清美著、山と渓谷社)