2010年8月29日日曜日

haiku&me特別企画のお知らせ(13)

Twitter読書会『新撰21』 
第十三回「豊里友行+高山れおな」

Twitter読書会『新撰21』第十三回の開催をお知らせいたします。
※Twitterについての詳細はこちらをご覧下さい。

この企画は『セレクション俳人 プラス 新撰21』より、各回一人ずつの作家と小論をとりあげ、鑑賞、批評を行うものです。全21回を予定しており、原則として隔週開催いたします。

第十三回は豊里友行さんの作品「月と太陽(ティダ)」と、高山れおなさんの小論「沖縄のビート」を取り上げます。

「haiku&me」のレギュラー執筆者が参加予定ですが、Twitterのユーザーであれば、どなたでもご参加いただけます。主催者側への事前の参加申請等は不要です。(できれば、前もって『新撰21』掲載の、該当作者の作品100句、および小論をご一読ください。)

また、Twitterに登録していない方でも、傍聴可能です。

■第十三回開催日時:2010/9/4(土)22時より24時頃まで

■参加者: 
haiku&meレギュラー執筆者
+
どなたでもご参加いただけます。

■ご参加方法:
(1)ご発言される場合
Twitter上で、ご自分のアカウントからご発言ください。
ご発言時は、文頭に以下の文字列をご入力ください。(これはハッシュタグと呼ばれるもので、発言を検索するためのキーワードとなります。)
#shinsen21
※ハッシュタグはすべて半角でご入力ください。また、ハッシュタグと本文との間に半角のスペースを入力してください。

なお、Twitterアカウントをお持ちでない方はこちらからTwitterにご登録ください。(無料、紹介等も不要です。)

(2)傍聴のみの場合
こちらをご覧下さい。

■事前のご発言のお願い
(1)読書会開催中にご参加いただけない方は、事前にTwitter上で評などをご発言いただければと思います。

(2)ご参加可能な方も、できるだけ事前に評などを書き込んでいただき、開催中は議論を中心に出来ればと思います。

(3)いずれの場合もタグは#shinsen21をご使用ください。終了後の感想なども、こちらのタグを使用してご発言ください。

■お問い合わせ:
中村(yasnakam@gmail.com)まで、お願いいたします。

■参考情報ほか:
・第一回読書会のまとめ
・第二回読書会のまとめ
・第三回読書会のまとめ
・第四回読書会のまとめ
・第五回読書会のまとめ
・第六回読書会のまとめ
・第七回読書会のまとめ
・第八回読書会のまとめ
・第九回読書会のまとめ
・第十回読書会のまとめ
・第十一回読書会のまとめ
・第十二回読書会のまとめ

新撰21情報(邑書林)

・『新撰21』のご購入はこちらから

2010年8月27日金曜日

 ― 使者と秋果 ―

  獣らを呼ばむ秋果の水辺へと      青山茂根




キャンプから帰る。いつもの清流沿いのキャンプ場ではなく、検索で探した、北関東の山間の沢沿い。木立のなかに、点々とテントサイト、傍らを流れが、という地が好み。着いてみたら、源流ともいえる、湧き水の水量が多いため沢となっているところだった。その先に川はない。都内より涼しい、といっても例年より3,4度気温が高い夏、とのことだが、標高が高いため梅雨もなく、集中豪雨を降らせる雨雲も、雷雲ももっと下なためその地には雷も落ちないのだとか。緑の風景の中に、遠近に白樺あり。

湧き水の流れが、冷たすぎて、川遊びが5分ともたない。生き物も、あまりに水がきれいなためいない。脇の、くぼみに溜まって少しよどんだところに、オタマジャクシと蛙が少し。岩の合間の流れがゆるいあたりに、沢蟹が少し。沢をせき止めて、池をいくつか作り、そこに岩魚や虹鱒を泳がせて釣堀状にしているが、底の水草の繁茂が美しすぎて、見とれる。様々な蝶が、飛来する。地に近く、捕まえられそうで、危ういところで逃げられてしまうのが、秋の気配。まだ小さな髪切虫が、あまりに見事な模様をしていて、驚く。

湧き水の味は、ひとたび味わうと忘れられない。沢水で食べ物や飲み物を冷やすのもすこぶる美味だが、味わっていたら、熊が寄ってくるから止めて欲しい、との注意を受ける。普通に、熊が出るらしい。コンビニを訪れることもあるという。重く稲穂の垂れた緑の田が眩しい。道路脇には猿を見かけた。夜間は多数の鹿の親子が両脇に草を食みにくると。夜のテントの中で、大きく激しく聞こえるが実はたいしたことのない雨音、沢の流れ、何かの動物の叫ぶ声に耳を傾ける。鹿らしき声は、まだしないようだ。清流過ぎるのか、河鹿も聞こえない(あるいは時期か。東京の端でも、7月には聞ける)。ホタルには少し遅い。満月の下の灯火へ、甲虫や鍬形も寄り来る。灯取虫とは飛び方が違うのが、哀れを誘う。電灯の明かりを月と間違えているか。帰れない使者のようで。

2010年8月20日金曜日

 ― 『点る』 記憶 ―

「箪笥の底の・・・」というよく知られた句がある。皆、ある程度の年齢を超えると、そんな共通する何かを、どこかに隠してあるものだろう。自分が、というわけではないのだが、母の桐箪笥の引き出しには、多少着物類が仕舞ってあり、すでに着ている姿はほとんど見かけなかったが、時折虫干しに広げるたびに、そっと触れさせてもらうのが幼い頃の楽しみだった。といっても、既婚者の箪笥の中はさっぱりとした柄が多くて、そもそもふわふわした色の訪問着などは私の好みでなく、小さい頃から花柄といったものも好かないのだが、ひとつだけ、どうしても欲しくて仕方のない着物があった。それは、黒の絽の着物で、ところどころ、赤や白や青の水玉状の色を散らしてある薄絹だった。大きくなったらこれ着る、絶対頂戴、と一人で言い張っていたのだが、母には相手にしてもらえなかった。思春期を迎えた頃か、もうそろそろそれが着られるくらいの背格好になったか、という頃に、思い出して母に進言してみると、あれは、祖父がもらったものだから、と言う。もうとうに亡くなっていたが、祖父が戦後都内に店を出していた頃に、どこかの芸者さんか誰かから譲られたらしい着物だ、というのだ。粋筋の人の好みのものだし、絽は時期が難しい、それに何十年も仕舞いっぱなしで、手当てをしないと。母はそういって、そこらの学生風情の着られたものではないと話を打ち切ってしまった。


小林苑を氏の句集『点る』より(ありがとうございました)。どこかに昭和の記憶を留めた句が、あえかな叙情とともに読み手に迫る。しかし、甘さではなく、この世の不可思議さといったものに、常に焦点が合っているような。


  群青の水着から伸び脚二本


  遠泳の母の二の腕には負ける


  すかんぽやこの家は傾いてゐる


  父の日のグラビアに横たはるべからず


  姉さんを剥けばつひには梨の芯


  目をつむる遊びに桜蘂降れり


「群青」の句、十代のスクール水着姿を題材にしながら、思春期特有のナルシシズムとはおよそ対極にある詠みぶりだ。むしろ、実際の心理は、こんな風に、自らが変貌している途中の肢体への違和感であったのではないか。手塚治虫の『ふしぎなメルモ』で、子供から一気に19歳の身体に変わったときの脚、『不思議の国のアリス』の中でいきなり天井に頭がぶつかってしまったアリスがはるか彼方の我が足を見下ろしているような、そんな疑問を形にした句とも思える。

「目をつむる遊び」、少々シニカルとも言える視線の句の中で、そこにエロスの萌芽といったものが付加されている句も多く見受けられる。「桜蘂」は、長くたっぷりとした睫毛をも想起させて、目をつむり待つ行為とは?と、胸のどこかに皆が持つ記憶を呼び覚ます。


  自転車に乗つて巣箱がやつて来る


  東京タワー崩るるほどの熱帯夜


  あれは夜汽車とひまはりの囁きぬ




  ふらここの縛られてあり常夜灯

(小林苑を 句集 『点る』 ふらんす堂 2010)


 「自転車に」の句、そういえば、昭和期のドラマや映画の中では、様々なものが自転車の荷台にくくりつけられて運ばれていた。大きな出前持ちなどは今でも見られるだろうが、ビールケース、書店の配達、ちょっとした距離の物の運搬なら、一般家庭においても、何でも自転車に乗せて行ったのだ。その頃の、隣人同士の繋がりといったものも描き出して、懐かしさの中に、現代の人間関係の希薄さを炙り出す。


「東京タワー」、常に、現代の都市生活を詠みながら、そこに現れる季節の移ろいをありのままに、飄々と、恬淡と、詠む。技巧を感じさせないようでいて、この句も、「崩るる」の形容が、熱帯夜の、湿度の高い大気の中で見上げる東京タワーの灯のゆらぎを描き出して、鉄が溶解するほどの夜の妖しさの幻影とともに、印象に残る。


己の経てきたたくさんの時間と記憶を、チューブから搾り出すかに少しづつ俳句に乗せていく楽しみが溢れていて、羨ましくなる句集だった。自分の中にはまだ少ししかない濃密な時代を、どうやって補っていくか、だろうか、遅れてきた我々に出来ることといえば。











  





  





  

2010年8月17日火曜日

何かいいことあったらごめんね   上野葉月

(今回は前回の続きではありません)
日本人が生の魚を食べることはよく知られているけど生卵を食べることはあまり知られていないような気がする。「卵が先か鶏が先か」ということより「攻めが先か受けが先か」というようなことが気にかかる夏も過ぎ去ろうとしておりますが皆様お変わりありませんか(たまには俳人らしく季節の話題)。

このあいだ『わたしたちは皆おっぱい』第一巻の登場人物紹介を見ていて気付いたのだけど、いつの間に「委員長といえば巨乳!」ということになってしまったのだろう。本当に私を置き去りにして全ては通り過ぎていく。
それにしても巨乳という言葉が登場したのは確か1980年前後だったと記憶している。が、まさかこんな下世話な日本語は定着しないだろうと思っていたのだけど、すっかり定着してしまいましたね。全ては私を置き去りにして……。

ところで久方振りに『電脳なをさん』の単行本が出ました。『電脳なをさんVer.1.0』。『新・電脳なをさん①』以来実に六年。
やっと出たと喜んだのもつかの間、その内容たるや単行本未収録の約300話中、最近の127話のみの収録という事態。いくらなんでもあまりといえばあまりにも不憫な。唐澤なをきの単行本ってそんなに売れないのだろうか?
いくらなんでも可哀想マックス(ご先祖さまありがとう)。お兄さんは刺されるし(刺されたのはお兄さんではなく相方です、念のため)。

連載で読んでいて『電脳なをさん』がどこからも訴えられないのが不思議だったのだが、要するに誰も読んでいないってことなのか?
「こんなときウォズニアックがいてくれたら」と遠い目をするスティーブ・ジョブスがあまりにもキュートなものだからきっと全世界のマック信者が買い揃えておかずにしているものだとばかり信じていたのに(念のため断っていきますがいくら私でもそこまでは考えません)。手塚オナ虫先生や麻宮再起動、黒井リサなども印象的だけど『電脳なをさん』のジョブス素敵過ぎる。最高です。何か人類の新しい夜明けを感じさせる。
『電脳なをさん』は連載で読んでいる分には、開いた口が塞がらないと思うこともしばしばありますが、こうやって単行本で読むと作者の恐るべき漫画的蓄積に圧倒されます。あの競争心旺盛で嫉妬深かった手塚治虫が大友克洋に対して「あなたの画の真似ならできるけど諸星大二郎の真似はできない」と言ったとか言わなかったとかいうやや喧伝されすぎているエピソードなどもつい思い出してしまう。
二ページとは云えこんな超弩級の週刊連載が十年にも渡って続いてしかも現在も継続中とは。まあ第111話の「だがこれはけっして手抜きではないのだ。週刊連載とはそれほど奥が深いものなのだ…」というアオリを見て以来私の中では連載中であるにもかかわらず完全に伝説の連載マンガではあるわけですが。身の置き所がないような襟を正さなければならないような気分になります。「マンガの神様」という称号は唐澤なをきのために用意されたものではないのだろうか?

なんでもあとがきに拠るとこの『電脳なをさんVer.1.0』がそれなりに売れたら追って『電脳なをさんVer.0.9』、『電脳なをさんVer.0.8』も出るとか。今までhaiku&meでマンガやアニメを話題にするとき特に買って欲しいとか読んで欲しいとか思って取り上げたわけではなく単に話題にしたかっただけなのですが、『電脳なをさんVer.1.0』ばかりは読んで笑っているだけにはいかない。Sara句会の参加費と同等の1K程度の円でこの傑作が手に入るのです!
これは買ってください。よろしくお願いします。

冷麦に女座りのふたりかな  上野葉月



2010年8月16日月曜日

結社誌と同人誌

ミュージシャンのエピソードで好きなものの一つに、ムーンライダーズもはちみつぱいも結成前の鈴木慶一が「5人目のはっぴいえんど」になるかもしれなかったという話がある。ぼくが記憶していたのは、目黒のトンカツ屋で、大滝詠一と細野晴臣から「好きなバンドを3つあげよ」と言われ、鈴木慶一がその中に「CCR」を入れたため、加入はならなかったというものだったが、いまネットで調べてみたら、事実は違っていたようだ。

れんたろうさんが運営する「名曲納戸BBS」の、2008年6月3日の投稿に、鈴木慶一のラジオ番組に大滝詠一がゲスト出演したときの模様を文字起こししたものが掲載されており、そこでこの件について語られている。引用させていただく。

光岡ディオン: 二人の最初の出会いは?
鈴木慶一: 細野さんの家だったと思う。ギターでG→Emに行く中で、オレ、F♯を入れた。で、コレいいんじゃない、ということになった。
大滝詠一: (G→Emに行く流れで)経過音を入れるのは、センス。教えられるもんじゃない。細野さんが、奴はF♯を入れた!って、言ってた。
鈴: で、メンバーに入れようということになって、(はっぴいえんどのメンバーと)日比谷の野音に出た。
大: すると、正式メンバーにしようかどうしようか、となるわけ。目黒駅の近くのトンカツ屋で、「入団テスト」をした。
鈴: 質問が来るの。大滝さんから。ツェッペリンとザ・バンドとクリムゾンとでどれが一番好きだ?って。
大: それ、細野さんが聞いたと思う。
鈴: ザ・バンドって答えると、じゃあ、ザ・バンドと○○と○○○とではどれが好きかって。バッファロースプリングフィールドが候補にずっと残ってて、(3択候補の中に)CCRが入ってきて。で答えるのに2秒くらい間が開いた。そしたら大滝さんから「ほんとはCCRが好きなんじゃないの」と言われて。つまった。
大: 人生のターニングポイントだったんだよ。
鈴: 3年で終わるバンド(はっぴいえんど)と30年続いてるバンド(ムーンライダーズ)で…。
大: それで良かったんじゃない。
鈴: あの時、分岐点にいた、ということが分かったよ今。
大: 帰りに細野さんと「CCRじゃなー」って言った記憶がある。

このエピソードから、ふと俳句の同人誌を思った。
俳句の発表の場として、商業誌の他に、結社誌と同人誌がある。個人誌というのも、広義で同人誌に入るだろう(結社誌というのも、主宰の個人誌という側面があるけれども)。主宰、つまり師匠のもとに集い、指導を受けるのが結社誌で、同人誌は各同人が対等であるというのが、大きな違いということになるか。ただ、結社にも「会員」と「同人」がいて、同人は主宰の選を受けないということもあるらしいし、同人誌でも代表者が添削したり選をする場合もあるらしい。つまり、はっきりとした境界があるようで、ない。趣味趣向や主義主張、志を同じくする者が集うという意味でも、結社誌も同人誌も同じだろう。

ぼくが考える結社誌と同人誌の違いは、結社誌は誰でも入会できる、初心者歓迎だけれども、同人誌は、誰でも良いというわけではない、ということではないかと思っているのだけれど、どうなのだろうか。創刊同人以外は、冒頭の「入団テスト」のようなものが行われているのではないかと、想像しているのだが。「金子兜太と波多野爽波と高柳重信では誰が一番好きか」という三択が続いていく、というような。

かく言うわが「haiku&me」も、同人誌である。もちろん、「入団テスト」があった。中村安伸さんとぼくは、青山茂根さんから、「好きな俳人を3人あげよ」と言われたのだ。

一人ずつ行われたので、安伸さんが誰をあげたのかは知らないが、難なく同人になったようである。しかしぼくは、つい、自分の師匠である小澤實の名をあげてしまった。自分の師匠の名をあげるなど言語道断、それこそ「CCR」以下である。茂根さんは、しばし黙考したのち、なぜ小澤實をあげたのか理由を尋ねた。ぼくは自分の失敗を察し、弁明に必死になった。「逆に」を連発したのを覚えている。その姿に苦笑しつつ、寛容なる茂根さんは、仲間に入れてくれたのである。





というのは、冗談です。真っ赤なウソです。入団テストなんてありません。すみません。でも同人誌って、バンドみたいであってほしいなと思う。だいたい同人誌って、寿命短いし。そこからソロに転向するとか、別のバンドを組むとか。ローリング・ストーンズやムーンライダーズのような長寿バンドもあるけれど。その場合、バンドがプラットフォームになるわけで、むしろ結社誌に近いか。

旧作より。

 秋立つやペンギン群れて腥き  榮 猿丸

2010年8月15日日曜日

haiku&me特別企画のお知らせ(12)

Twitter読書会『新撰21』 
第十二回「北大路翼+松本てふこ」

しばらく夏休みをいただいたTwitter読書会『新撰21』ですが、第十二回の開催をお知らせいたします。
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この企画は『セレクション俳人 プラス 新撰21』より、各回一人ずつの作家と小論をとりあげ、鑑賞、批評を行うものです。全21回を予定しており、原則として隔週開催いたします。

第十二回は北大路翼さんの作品「貧困と男根」と、松本てふこさんの小論「カリカチュアの怪人」を取り上げます。

「haiku&me」のレギュラー執筆者が参加予定ですが、Twitterのユーザーであれば、どなたでもご参加いただけます。主催者側への事前の参加申請等は不要です。(できれば、前もって『新撰21』掲載の、該当作者の作品100句、および小論をご一読ください。)

また、Twitterに登録していない方でも、傍聴可能です。

■第十二回開催日時:2010/8/21(土)22時より24時頃まで

■参加者: 
haiku&meレギュラー執筆者
+
どなたでもご参加いただけます。

■ご参加方法:
(1)ご発言される場合
Twitter上で、ご自分のアカウントからご発言ください。
ご発言時は、文頭に以下の文字列をご入力ください。(これはハッシュタグと呼ばれるもので、発言を検索するためのキーワードとなります。)
#shinsen21
※ハッシュタグはすべて半角でご入力ください。また、ハッシュタグと本文との間に半角のスペースを入力してください。

なお、Twitterアカウントをお持ちでない方はこちらからTwitterにご登録ください。(無料、紹介等も不要です。)

(2)傍聴のみの場合
こちらをご覧下さい。

■事前のご発言のお願い
(1)読書会開催中にご参加いただけない方は、事前にTwitter上で評などをご発言いただければと思います。

(2)ご参加可能な方も、できるだけ事前に評などを書き込んでいただき、開催中は議論を中心に出来ればと思います。

(3)いずれの場合もタグは#shinsen21をご使用ください。終了後の感想なども、こちらのタグを使用してご発言ください。

■お問い合わせ:
中村(yasnakam@gmail.com)まで、お願いいたします。

■参考情報ほか:
・第一回読書会のまとめ
・第二回読書会のまとめ
・第三回読書会のまとめ
・第四回読書会のまとめ
・第五回読書会のまとめ
・第六回読書会のまとめ
・第七回読書会のまとめ
・第八回読書会のまとめ
・第九回読書会のまとめ
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・第十一回読書会のまとめ

新撰21情報(邑書林)

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2010年8月13日金曜日

 ― 着物の『アングル』 ―

 角を曲がると、いつも三味線の音がしていた。勤め始めた頃、会社があった辺りはまだ色街の面影を残していて、大物政治家が車で毎夜乗りつけるという超高級料亭の黒塀もあったが、表通りに面していた会社の建物の脇を入ると、三味線のお師匠さんの家があり、いつもお稽古の音が聞こえた。草履を商う店、足袋や帯紐などの和装小物の店や、季節ごとの着物や帯や反物で表を飾る店も何軒かあったし、洗い張りや染物の暖簾もまだ見かけた。祭りのときには山車に乗った芸者衆のお姐さんたちを、休日出勤の会社の窓から見下ろしていたものだった。いつの間にか、そうした店が一軒、二軒と消えていき、よくある繁華街と大して変わらない街になってしまい、そうして自分も勤めを辞めた。

 向いの席に久保田万太郎さんがいらっしゃって、
「あれ、幸田さんもう帰るの、もう少しいいでしょう」
と声をかけて下さったのにお辞儀をして、出口の方へ行こうと、ぐるっと体を廻して立ち上った、と大向うから声がかけられたように、
「ああいい取り合せだ、如何にも江戸の女だね。振りの赤がきれいじゃないか」人の目が”振り”に集まった。
     (『幸田文の箪笥の引き出し』 青木玉 著 新潮社 平成7年)

 劇作家であり、長く演劇界に君臨した俳人久保田万太郎にまつわる、幸田文の思い出話。その俳句からも滲み出る、粋、というものが伺えて、心楽しくなるエピソードだ。そのときの幸田文の着ていたものは、<何時もの間違い無しの紺の縞のこまかいものを着て、その季節に合った染め帯の極くあっさりした取り合わせ>だったが、<この着物を作った時、あんまり地味になるのもつまらない、袖の振りのところだけもみを付けて、年をとっても赤い色のかわいらしさを楽しんだのを見付けられてしまった>のだ。対照的な、明確な色の別布を袖の裏側にだけ付ける、着物の遊び心だろうか。

 先日届けられた、小久保佳世子氏の句集『アングル』から引かせて頂く(ありがとうございました)。色彩の対比への視線、諧謔味がとても印象的な句集なのだが、着る物を素材にした句が多くあり、しかもその取り合わせ・着眼点が滅法面白い。

  一万歩来てぼろぼろのチューリップ

  蝶止まる広場のやうな背中かな

  アロハシャツ着ると十歳年を取る

  衣更へて高所作業の男なる

  舟遊び殺すなとTシャツにあり

  外套を放るやシャドーボクシング

  毛皮着て東京タワーより寂し

  鶴帰る頃かマフラー仕上がらず

  纏はずに湯舟を洗ふ豊の秋

  来賓のコート次々壁の中

  窮屈な夏帽の中考へる

  白シャツからアフリカの腕伸びてをり

  秋祭かくも羨ましき汚れ

     (小久保佳世子 句集 『アングル』 金雀枝舎 2010)

 生涯和服で通し、晩年の幸田露伴の着物の支度ばかりでなく、自身も様々に和服を着こなして小説や随筆を残した幸田文の視点を少し彷彿とさせる。どこかに芯の通った、伝統的な日本のセンスの心地よさ。一歩引いたお洒落心を感じるのだ。俳句、こんなに楽しいものでもあったのかと。


  
 
  
  

2010年8月11日水曜日

初心者連句入門 第3回 自他場について   葛城真史

自他場

 連句の句は、「人情句」(にんじょうく)と「場の句」(ばのく)にわかれる。「人情句」といっても、この場合の「人情」は「人の情け」ではなく、単に「人が詠み込まれている」ということ。「場の句」は、風景句および人が詠まれていない一切の句である。
 「人情句」はさらに細かく、「自分」が詠まれている「自の句」、「他人」が詠まれている「他の句」、「自分」と「他人」が詠まれている「自他半の句」の三つにわかれる。鉤括弧付きで「自分」「他人」と書いたのは、特に前者の場合、現実の自分自身である必要はなく、「主観的」(「他人」は「客観的」)と置き換えてもよいからである。
 以下、それぞれの例句を挙げてゆく。

自の句

  天金の歌集ひもとく月明に   篠見那智

(胡蝶『満ち干の落差』より  平成17年3月27日)

 「天金」とは本の上部に金箔が貼られていること。日本語の文章においては主語が省かれた場合、動詞の「動作主」は、前後の文脈による示唆がなければ、基本的にそれをつづった人(=「自分」)ということになる。したがって、ここでは月明に歌集を「ひもとく」のは「自分」であり、決して「他人」が「ひもといている」わけではないのである。

他の句

  両国を渡る其角の若かりき   市川千年

(胡蝶『吊し雛』より  平成18年2月26日)

 「其角」という明瞭な「他人」が詠まれている。俳句をやる方には説明ご不要であろうが、「其角」とはむろん、芭蕉の門人、宝井其角のことである。

自他半の句

  「もう少し歩きたいの」と由比ヶ浜   兎弦

(ソネット『久米仙人』より  平成20年3月23日)

 恋の流れで出てきた一句。「もう少し歩きたいの」というのは、もちろん彼女が彼氏に対して言っている(あるいは草食男子のセリフかもしれないが)のであり、言う「自分」と聞く「他人」がいるので、これは「自他半の句」ということになる。

場の句

  花万朶タンカー遠く動かざる   川野蓼艸

(胡蝶『吊し雛』より  平成18年2月26日)

 海沿いの桜並木。コントラストが見事な風景句である。
 先に触れた通り、風景句でない「場の句」もある。

  いつのまにやら足りぬジョーカー   葛城真史

(歌仙『海境を来る』より  平成17年7月24日)

 これは短句。具体的な風景が詠まれているわけでもなく、かといって人間が詠まれているわけでもないので、「場の句」になる。

「三分の理」

 いくつか例を挙げてきたが、実は私自身、あるいは私が参加している草門会自体、そこまで厳格に自他場にこだわっているわけではない。連句協会の常任理事でもある蓼艸さんは、口癖のようにこうおっしゃる。

 「自他場は”三分の理”があればよい」

 つまり、屁理屈でも何でも、一応説明がつくなら、自他場をどう解釈しようが自由なのである。実際、「三分の理」によって自由に解釈が変わる句もある。例えば先に挙げた「ジョーカー」の短句は、「場の句」であるとしたが、「いや、ジョーカーが足りなくなったことに気づいた『自分』がいるのだ」と言えばたちまち「自の句」にもなるし、「トランプ遊びを皆でしているのだから……」と言えば、「自他半の句」にもなるのである。
 ちょっといいかげんだと思われるかもしれないが、要はあまりガチガチに自他場にとらわれるよりは、連句自体の面白さを優先し、もっと柔軟に考えてもよいということである。
 さらにいくつか例句を挙げる。

  心地よき英語教師の鼻濁音   村田実早

(胡蝶『梅雨の満月』より  平成17年6月26日)

 「心地よき」と感じている「自分」と「英語教師」がいるので「自他半の句」ということになるが、「心地よき」は、あくまで「鼻濁音」に対しての形容にすぎない、と解釈すれば、これは「他の句」ということになる。

  遠方の客柿提げて来る   川野蓼艸

(胡蝶『満ち干の落差』より  平成17年3月27日)

 「客」のことを詠んでいるのだから「他の句」といえるが、いや、「客」を迎える「主人(=「自分」)」がそこにいるのだといえば、「自他半の句」であるともいえる。

  草原を東へ駆ける蒙古族   葛城真史

(独吟歌仙『猿の横顔』より  平成15年秋)

 「蒙古族」がいるので「他の句」であるが、これは具体的な人物がいない、いわば「歴史の風景」なのだといえば、「場の句」であるという解釈も成り立つ。

 このように自他場の解釈は「三分の理」でどうとでもなる場合も多い。なぜそのようなことをするのかというと、自他場は「打越」にかかわってくるからである。
 次回は、その「打越」の話をしたい。


 ワールドカップに浮かれたりなどしつつ、あっというまに前回から三ヶ月以上、間が空いてしまった。その間、この卑小な稿の存在などまったく忘れ去られていたことと思うが、もし1人でも続きを気になさっている方がいらっしゃったら、本当に申し訳ない。これから気分を新たに再起動ということで、またしばらくおつき合いを願いたい。
 なお、本文中、「日本語の文章においては主語が省かれた場合…」という一文があるが、わが国最古の小説である『源氏物語』では、ほとんど主語が省かれ、敬語の使い分けによる人物同士の関係性の示唆のみで人物を表しているということは、承知している。

2010年8月6日金曜日

山の花々   広渡敬雄

芹洗ふ伏流水や砂弾く       広渡敬雄

梅雨明けの7月下旬、霧が峰、美ヶ原に行く。
ともに、深田久弥の「日本100名山」ではあるが、「山には登る山と遊ぶ山があり、後者は歌でも歌いながら気ままに歩く。勿論、山だから、登りはあるが一つの目的に固執しない。気持ちの良い場所があれば、寝転んで雲を眺め、わざと脇に迷い行ったりする(いわゆる高原逍遥)、当然豊かな地の起伏と広闊な展望を持った高原状の山でなければならぬ」と「霧ケ峰」と「美ヶ原」の二つを特に記して称えている。
ともに、日本の中央山岳のほぼ中央に位置し、広大な展望には定評がある。
北アルプス、南アルプス、中央アルプスの全て、富士山、奥秩父、八ヶ岳、赤城山、浅間山、奥志賀、妙高山、乗鞍岳、木曾御岳等々と国内屈指の大展望。
ちなみに霧ケ峰(車山)は、日本100名山の36峰が見られる。
まず、霧ヶ峰に向かう。早朝、諏訪方面から急斜面を登ると、車の運転が慎重にならざる得ない位の名にし負う濃霧が立ち込めていた。
但し、風が出て来てあっと言う間に霧は消えた。
霧走る迅さを頬がとらへけり

強清水に日大グライダー部「鵜飼輝彦君記念碑」並びに「藤原咲平記念碑」がある。
昭和8年から、この地の上昇気流を利用して練習場が出来たグライダーのメッカ。
そういえば、この後、のんびり高原を歩いていると、梅雨明けの青空に高く舞い上がる何台かのグライダーを目にした。
今日は、八島ヶ原湿原から御射山を経て最高峰・車山、さらに南の肩、北の肩、大笹峰、ゼブラ山を経て湿原に戻り、北の鷲ヶ峰から改めて八島ヶ原湿原を俯瞰する総なめコース。
3000haと言う広大な霧ヶ峰を満喫する。
八島湿原PAに着くと早朝にも拘らず、ほぼ満杯。大型バスも数台。
湿原の展望所(1630m)の掲示板には、現在咲いている花々の写真が貼ってあり、あざみの歌の碑がある。横井弘作詞の「山には山のうれいあり、、」で著名な歌である。
この地の年間平均気温は5.8c。北海道と同じ気温でもある。
草花の写真を撮る人、一周80分の湿原を巡る人、展望だけの人と溢れている。
眼前に見渡る限りの湿原は、日本最南端の高層湿原と言う。手前の八島ヶ池とともに湿原のかなたに水面が輝き(鎌ヶ池)、ほとりに奥霧小屋が見える。
泥炭層のミズゴケ類の遺体が、12,000年にわたり未分解のまま積み重なったもので、最深8mの厚さ。また地塘は深さ1m以内で、梅雨明けの青空を映している。
水面は、あめんぼうだろうか、やや揺れている。
主峰・車山(といってもなだらかな隆起)からゼブラ山の稜線が青々とした草原を広げ、その上に端正な蓼科山が見える。(写真①)









勿論、尾瀬ヶ原には及ばないが、奥鬼怒湿原、田代山湿原、北海道の雨竜湿原、サロベツ原野(日本最北湿原)に匹敵する。
田中澄子「花の百名山」では、この霧ケ峰の「ヤナギラン(アカバナ科)」が紹介されている。盛りが晩夏から初秋であるためか、あまり期待してなかったが、いの一番に一輪だけ、湿原近くの木道脇に見つけた。今日のテーマの花をまずゲット!の感。(写真①-2)









八月後半には、赤い花穂を風に揺らして大群生となろう。
湿原に降りるあたりに、大きな「シシウド」が咲いている。
高さが2m近くあり、白い花が広がり存在感がある。(写真②)









木道の日当たりの良い山側には、「ハクサンフウロ」。
その鮮やかな紅色の花は、目をなごませてくれる艶っぽい花だ。(写真③)












以前、白馬大雪渓の上部のお花畑でこの花の大群生を見たが、稜線近くまで広がり、まるで青空まで咲き登るようで壮観だった。ここでは、季節が早いためかまだちらほら。
木道は靴にはやや違和感があるが、足音は爽快。
奥霧小屋あたりから、郭公の声がする。
広い湿原越しに聞こえて来る訳だが、いかにも高原だなあと実感する。
みずならの木がいくつか現れる。いつも心を落ち着かせてくれる大好きな木。
次に小梨。既に花は終ってはいるが、桷の花とも言い、清楚な小ぶりな白い花弁がいとしい花だ。このふたつは、この山域では多く見られた。生育上好適地なのだろう。
「シシウド」が何本か咲いているが、沢山の虫が群がっている。蜜を吸っているのだろう。
時々、擦れ違う人が「こんにちは」と声をかけてくる。
紫外線が強いので、改めて「日焼け止めクリーム」を塗る。
木道には、ところどころに木のベンチがあり、のんびり湿原を眺めている人も多い。
「こんにちは」との言葉が自然に出てくる。そして皆表情が明るく穏やかだ。
山の効用だろう。
所々の木道が濡れていて、近くに清水があった。
万緑や水場に鎖付きコップ

紫の鮮やかなヒオウギアヤメが顔を出している。(写真④)









但し、季節的には、ほぼ終りである。
紫は空に淋しき花あやめ

しばらく行くと、諏訪神社(旧御射山神社)がある。(写真⑤)









この辺りは平安・鎌倉時代から江戸時代(元禄)まで諏訪大社下社の神事のあと、武士が騎射を競った「御射山」で、この東側の山の斜面(階段状の地形)は桟敷席(観覧席)とのこと。(写真⑤-2) 









ここの清流を木橋で渡る。ふとこの水は、太平洋か日本海のどちらに流れるかが気になった。いわゆる「中央分水嶺」の問題である。
帰宅後調べてみると悩んだだけあって、今日辿るなだらかな後半のコース(山彦尾根)が文字通り、「中央分水嶺=日本の背骨」だった。
したがって、この清流や八島ヶ原湿原の水は、諏訪湖を経て天竜川となり、太平洋に流れ込む。
これから、沢渡を経由して、やや泥っぽい急坂をしばらく歩く。
ヤマアザミが時々目に映る。(写真⑥)












展望が開けてきて、北には八島ヶ湿原とその奥に美ヶ原が、南には主峰・車山、蓼科山、そして八ヶ岳が見え始める。
ニッコウキスゲがちらほら咲いている。(写真⑥-2)









最盛期には、この辺りは大群生と聞くがまだまだの感がする。日光霧降高原、那須の大峠の大群生を見た印象からすると、今一つ。
二人の自然保護指導員と会ったので、コース等を教えてもらう。
植物保護のため、二人一組でこの山域を巡回しているとのこと。
蜻蛉がかなり飛んでいる。避暑に来ているのだろう。
以前、7月下旬に谷川岳、越後駒ヶ岳に登った時に、空を覆うくらいの蜻蛉の大群にびっくりしたが、山小屋のおやじは「やつらは、避暑に来ていて、八月下旬にはまったくいなくなる」とこともなく説明してくれた。
キンバイソウの黄色の花が増えてきた。(写真⑦)。









代表的な高山植物である「ミヤマキンバイ」に似た花である。
車山の肩に着く。ここは、ビーナスラインと接するため、大型バス、自家用車で満車状態。かなりの人が歩いて40分の車山山頂を目指す
このコースは直登せず、ぐるっと一周する。
のんびり草花と大展望を楽しみながら登るのだ。
始めは北アルプス、乗鞍岳、木曾御岳。そして中央アルプス、南アルプスと楽しめる。
さらに富士山、八ヶ岳。
突然、雲雀らしい声と、真っ青な空に鳥影が見える。
涼風のなか、恋の囀りはアルプスにも届きそうだ。
間違いなく雲雀だった。意外な遭遇だった。
山頂手前でかのヨーロッパアルプスを代表するエーデルワイスそっくりのウスユキソウが見られた。(写真⑧)









しかし、カトウハコベの一種かも知れない(自信持てず)
程なく、霧ケ峰の最高峰の車山山頂(1925m)。
二等三角点があり、気象レーダーがある。
どこからも見える直径4mのパラボラアンテナの周りは、車山の肩からのハイカー以上に白樺湖側からロープウェイで上がって来た人で大混雑。
蓼科山は雲に隠れたが、白樺湖とリゾートが俯瞰される。
頂上からやや離れたところで、食事とコーヒーを取る。
梅雨明けのため、太陽光線は強く、再度日焼け止めクリームを塗る。
2000m近い高度では通常であれば、100mで0.6cの温度が低下するので、12c近く下界より涼しい筈だが、30c近くあり、下界並である。
但しそこは高原、涼風が来ると爽快だ。
先が長いので、一気に100m強下り、車山乗越へ向かう。途中、人工降雪機があった。
ふと思い出すことがあった。この車山スキー場は南面のため、日中は雪が融け、夜氷結するため、朝はカチカチの氷雪なり、ロープウェー(山頂駅)を降りての急坂で足がすくんだことがあった。怖かったが、もう20年近く前になったかと感慨深かった。
平坦な道はここちよいアップダウンがあり、涼風も吹いてきて、至福のトレキングとなった。振り返ると、気象レーダーの車山がなだらかな傾斜の中に見える。(写真⑨)









信じられないことだが、このゆったりとしたコース(山彦尾根)が、日本の背骨に当たる「中央分水嶺」である。
途中で愛嬌のある名のイブキトラノオを見つけた。(写真⑩)












虎の尾とは、、、しかし、可愛いくて好きな花である。
草原に一本のななかまどがあった。まだ、緑溢れる葉叢だったが、中秋には染まるような真っ赤な紅葉となり、ハイカーを楽しませるだろう。東南方向にかなり傾いているのは、草原でもあり、冬だけでなく通常でも北西の強い強風が吹くのだろう。
高原の中の突起のような、南の耳(1838m)、北の耳(1829m)を経て、
ゼブラ山(1776m)に至る。(写真⑩-2)









ほぼ、霧ケ峰の山域をほぼ一周したことになるが、奥霧小屋と八島ヶ原湿原が一望される。丁度、雲が移動しつつあり、湿原にゆっくりとその影を移していた。(写真⑪)









のんびり山を下ると、現在休業中の奥霧小屋。キャンプ場でもある。
ここには、駐車場からの木道が続いており、ハイカーが多い。
鎌ヶ池は、駐車場側の八島ヶ池とともに、湿原に良いコントラストを与えている。
木道の周りは色んな植物が見られる。鮮やかな黄色のコウリンカ。黒い総苞に囲まれた橙紅色が印象的で何となく愛嬌のある花と思う。(写真⑫)









駐車場近くの展望台の人達が見え始める頃、紫が鮮やかなウツボグサを見つけた。(写真⑬)









別の人も写真に撮っている。
駐車場への道をカットして、鷲ヶ岳に登る。途中で、本日の全てコースが俯瞰される場所があり、印象的だった。
はるか彼方に車山が見え、まさに絶景と言うべきだろうか。(写真⑭)









車山からの後半のコース(山彦尾根)はなだらかなコースにも拘わらず、日本の背骨!
左足(西)の雨水は天竜川を経て太平洋に、右足(東)の雨水は、千曲川、信濃川を経て
日本海へと流れ入るかと思うと感慨深いものがあった。
翌日は美ヶ原高原全域を逍遥したが、霧ケ峰を更に上回る山岳展望(殊に北アルプスが指呼の距離)で、頂上(王ヶ頭)から日本100名山42峰の大展望を楽しんだ。

参考文献:
  深田久弥「日本100名山」(朝日新聞社)
  白山書房編「百名山パノラマ案内」(白山書房)
  田中澄江「花の百名山」(文春文庫)
  青山富士夫「高山の花」(小学館)


写真(クリックで拡大表示):
 ①八島ヶ原湿原と蓼科山
   ①-2ヤナギラン
   ②八島ヶ湿原とシシウド
③ハクサンフウロ
   ④ヒオウギアヤメ
   ⑤諏訪神社(旧御射山神社)
   ⑤-2御射山桟敷席
   ⑥ヤマアザミ
   ⑥-2ニッコウキスゲ
   ⑦キンバイソウ
   ⑧ウスユキソウ or カトウハコベ
   ⑨南の耳手前から車山(気象ドーム)
   ⑩イブキトラノオ
   ⑩-2 山彦尾根(中央分水嶺)からの南の耳(左)と北の耳(右)
   ⑪ゼブラ山から雲移りゆく八島ヶ原湿原
   ⑫コウリンカ
   ⑬ウツボグサ
   ⑭鷲ヶ岳頂上手前から八島ヶ原湿原と車山(気象ドーム)
  
地図:霧ケ峰全域

2010年8月2日月曜日

表層に宿るもの

俳句スランプ脱出のため、矢継ぎ早に美術館へ行く。

7月某日、「SWINGING LONDON 50'S-60'S」@埼玉県立近代美術館へ。
50年代から60年代の英国インダストリアル・デザインと「スウィンギン・ロンドン」と称されたユース・カルチャーの展覧会。入ってすぐ、テレキャスター、ストラトキャスター、レス・ポールのエレキギター御三家、三体仏が鎮座。ありがたく拝む。振り返るとヴェスパがあり、モッズ・コート(朝鮮戦争休戦後、大量に放出され英国に流れてきた米軍のパーカー)が掛かっている。最近気付いたのだけど、「踊る大捜査線」の青島刑事のコートってモッズなんだね。ダサかなしい。私は。

60年代英国カルチャーに多大なる影響を受けた私としては、何時間居ても飽きない空間だった。最も印象に残ったのは、ジミー・ペイジ翁の私物ギターやベルベット・スーツではなく、マリー・クワントのミニ・スカートとチェルシー・ブーツであった。魔法使いサリーちゃんなどの60〜70年代の少女漫画のコスチュームの原型。ツイッギーが登場してロング・ヘアーのグラマラスな女性からショート・カットのスレンダーな少女に。ガーリーの原型。マリー・クワントは一世を風靡しただけに、じつは70年代は「あの人は今」状態だったらしい。というのは、キンクスが74年に作った「Where Are They Now?」という曲があって、タイトルのとおり、表舞台やトレンドから消えた人達を羅列していく歌なのだけど、そのなかにマリー・クワントも出てくるのだ。今じゃ考えられないけれど、そういう時代もあったんだな。

ビニールとプラスティック。猿丸俳句の原点。というより、現代の都市生活のすべてがすでに用意されている。マーシャル・マクルーハンの予見したプロセス通りにわたしたちは動いている。

7月某日、「ウィリアム・エグルストン:パリ-京都」@原美術館へ。
エグルストンの日本初個展。待ってたぞ。
ありふれた日常の風景、何の変哲もないモノや無名のヒトを写した一見無造作なスナップ・ショット・スタイルのカラー写真。ひじょうにアメリカ的な(今ではクリシェとなった)イメージの断片。寂れたバーの看板や空き瓶や使い捨て容器のゴミ、自動車やガレージ、郊外の家、モーテル、だだっ広い(しかしなにもない)風景。芸術写真といえばモノクロが主流だった76年に、ニューヨークのMOMAで個展が開かれるも、批評家からは「陳腐なスナップ・ショットに過ぎない」と酷評される。ストレート・フォト全盛の今の感覚では考えられないが。酷評されてなんぼである。

しかし、そんなありふれた日常を写しても、エグルストンの写真には個性がくっきりと顕れている。豊かな質感と鮮やかな色彩の深み、無造作なようでいて独特な構図。匿名性は、属性や記号から解放されるためにある。被写体との関わりの稀薄さ、説明を排除した視線は、あくまで表層にとどまろうとする。ホテルの部屋の奥に写りこんだ半開きのドアは、異界への通路の象徴ではない。何も暗示しようとしない。それだからこそ、日常にひそむ謎、無常、そしてパーソナルで普遍的な物語が生成される。

そんなエグルストンが、パリと、そして京都!を撮った。日本をエグルストンがどう撮ったか。バルトの表徴の帝国っぽい?いやいや、エグルストンはエグルストンである。ペットボトルの美しさ(しかもお〜いお茶!)。しかし、被写体が私に近すぎて(あたりまえだよ日本人)、ちょっと不思議な感じもある。

残念ながら、私が行ったときにはまだ個展のカタログが出版されていなかった。しかし写真集2冊ゲット。うれしい。でも痛い出費。大枚2枚飛ぶ。写真集は高い。

リアガラスの曇り縞なす夜の秋  榮 猿丸