2009年9月30日水曜日
波は、渦に
2009年9月29日火曜日
haiku&me 8月の俳句鑑賞(4)
2009年9月28日月曜日
俳句総合誌LOVE
誌面構成も、年功序列で、マジかと思った。他のジャンルでは考えられない。だって、ロック雑誌でたとえるなら、ポール・マッカートニーが巻頭で、レディオヘッドが中程に小さく載ってるみたいなもんだもの。いやいや、これもぼくを非難するのは間違っている。いたってふつうに驚愕すると思うんだ。
いまではぼくも俳句歴がそれなりにあるので、こういうことはいちいち言わない。俳句総合誌のメインの読者層は七十代だと聞いたこともあるし、そういう誌面作りになっているわけだから、間違っていない。正しい。俳句の世界では、レディオヘッドよりも、ポール・マッカートニーの方が人気があるし、売れるのだから。ビートルズのリマスターがなくても、いつでもビートルズが巻頭なのだ。
もちろん、ビートルズをけなしているわけではまったくない。レディオヘッドだって、ビートルズにはかなわない。でも、リマスターでもないビートルズは、「旬」ではない。「リスペクト」すべき存在だ。「リスペクト」としてきちんと頁を確保すればいい。しかし、巻頭は「旬」の俳人であるべきだ。すくなくとも、その雑誌の主催する「賞」を取った俳人は、その雑誌が認めた「イキのいい新人」なのだから、次の賞まではどんどんフィーチャーして、ばんばんプッシュしてほしい。それもだめなのかな。
ちょっと前の話で恐縮だが、今年の「俳句」五月号はよかった。なにがよかったって、巻頭だ。小澤實、櫂未知子、岸本尚毅というラインナップ。「旬」の俳人が並んでいる。年に一回くらい、こういうことやるんだ。いや、たいへんなことはわかっているよ。というか、みんな応援しているよ。蔭ながらだけど。年に一回でもいいから、つづけてくれ。
二十代から四十代の読者層が増えれば、当然誌面も変わるだろう。レディオヘッドが巻頭にくるだろう。しかし、そんなことは起こるわけもない。であれば、レディオヘッドが巻頭にくるような雑誌をじぶんたちでつくるしかないのか。だれかスポンサーになってください。
「短歌ヴァーサス」という雑誌があった。ニューウェーブ以降の歌人、あるいは、ネット世代の「ポスト・ニューウェーブ」とも言える若い歌人たちをフィーチャーした短歌雑誌で、たまに読んでいたのだが、11号くらいで休刊になってしまった。これはショックだった。穂村弘や東直子や斉藤齋藤でも、やっぱりだめなのか。
でも、いくらメインターゲットが七十代だといっても、ぼくも一読者だし、一当事者として、少数派なりに、言うべきことは言わなきゃいかんと最近思う。無駄だと思っても、バカにされても、やっぱり、「カット絵」とかにツッコミを入れ続けていかなきゃいけないのだ。頭がよくて、ものわかりのよい、リスペクト礼賛の優等生的な、保守的な若手が多い気がするが、本当のところはどうなのだろうか。こんなこと考えているのはぼくだけなのだろうか。それとも、こんなこと言っているとスポイルされちゃうから言わないだけなのか。こんなこと言ってもしようがないよ、とバカにされそうだけど。いまの状況をみていると、古典的な俳句に対する信仰に近い楽観主義のようなものが覆っているように感じてしまう。俳句村で自己完結してしまう不安はないのか。俳句という表現自体が時代から存在を問われているような危機感はないのか。
なんだか話が大きくなってしまったが、俳句総合誌好きです。いまは、「波」を立てない、「風」を起こさないよう細心の注意を払っているような誌面づくりですが、めちゃめちゃダサいですが、それでもツッコミをばんばん入れながら、これからも読んでいきます。
胡麻振るやハンバーガーのパンの上 榮 猿丸
2009年9月25日金曜日
― Yoko Yoko Road ―
少しだけあらがふやうに砧かな 青山茂根
どこかに泉を隠しているから、砂漠は美しいのだ、と言ったのはS・テグジュベリだが、半島にはどこかに灯台がある。この休日は、三浦半島を廻った。
朝比奈インターに近い、山一つ越えれば鎌倉、という地に学生の頃住んでいたことがある。遊ぶところも何もないけれど空と海が近いところだった。今でこそ八景島に行楽施設ができて賑わう場所となっているが、当時はやっと人口の砂浜を持つ海の公園が整備されたくらいで、野島の漁船が係留された岸ぞいや、海を目指していくと日産のテストコースがあるあたりは、夕日を見に、一人でもぼんやりと訪れるところだった。近くに感じられる、海を目指してどこまで走っても、野島公園の小さな浜以外に、水辺に降りられる地はないのだ。徒労感の中で見る、海に沈む太陽。
山向こうの鎌倉の八幡宮は、その中にある研修道場へ行くためにしばしば訪れた。武道系の大会や、昇段試験の会場によく使われるところなのだ。近代的な建築にはなっているが、ところどころ伝統的な意匠が取り入れられた道場で、外気を入れるために上げる半蔀など、参拝客もまばらな辺りの静けさとともに、好きな場所だった。
城ヶ島や、観音崎の灯台もいいが、今回は剣崎へ向かった。といっても、いきあたりばったりで、海岸付近の道が混んでいたので三崎方向には行かずに空いている方へ進んだ。逗子や葉山の人手にぶつかるなら、誰もいない、海へ落ち込んでゆく緑の畑が広がる三崎辺りを走るほうが好きだ。夜の静かな灯台や、岩場から見る夜光虫、この辺りのどこを曲がっても小さな入り江に行き当たる。日中の潮溜まりで小さな海老や鰯を捕まえるのも面白い。以前能登半島を旅したときも、灯台から灯台へ訪ねていくルートを採った。夏が過ぎると、三浦あたりも、一部を除いて、ひと気がなく、静かな海ばかりだ。秋の夕方の、誰もいない砂浜を歩くのも楽しい。海猫の足跡と、犬を散歩する人、浜辺から釣竿を投げる父子、湾がすっかり暮れて、秋の灯がささやかに水辺を彩るまで、眺めている。
三浦海岸駅のすぐ近くに、幕末の海防陣屋跡がある。といっても、わずかに復元された門と壁があるだけなのだが、当時まだ16歳ぐらいだった、のちの木戸孝允や伊藤博文が詰めていた地という。そういえば、幼い頃を過ごした太平洋岸の町にも、海防陣屋跡があったことを思い出す。波の荒さも、海の色も異なるが、浦賀に近い、こちらのほうがずっと重要な拠点であったことだろう。西洋式灯台建設以前の、菜種油を燃して船の目印とした燈明堂跡も浦賀に訪ねたかった。
安針塚、二子山も歩いてみたいし、荒崎海岸、天神島、秋谷etc、人のまばらな秋のうちにまだ訪れたいところばかりだ。
2009年9月24日木曜日
haiku&me 8月の俳句鑑賞(3)
ひるがほや錆の文字浮く錆の中 榮 猿丸
「ひるがほ」は海辺によく咲く花なので、「錆の文字」は、船に書かれた船名だろうか。長く使いこまれた船体は、潮に錆びて、ごつごつとしている。その船体の錆びた肌に、「○○丸」といった船の名前を、かろうじて読みとることができる。そんな、さびれた漁港の風景と読んだ。
「浮く」の一語が、錆の立体感を言い得ているし、「錆」のリフレインも、その重厚さを示している。このリフレインは、三橋敏雄の「鉄を食ふ鉄バクテリア鉄の中」の形のうつくしさをも彷彿とさせて、口ずさんでも心地いい。「ひるがほ」が平仮名にくずされているのも、錆の重量感をより強く見せるために、効果的にはたらいている。
錆びるほどの年月を経てきた船を、使いこんできた人の思いに還元することもできるだろう。けれど、この句は、錆のみに特化して非常に即物的につくられているので、船にまつわる人情物語を拒否しているように見える。そんなところも、惹かれた理由だった。
すいかバー西瓜無果汁種はチョコ 猿丸
これも、実は、「錆」の句同様、「すいか」のリフレインが、句の調子を整えている。
西瓜無果汁というジャンクな感じと、種はチョコレートでかたどっているというナンセンスが、まさに「すいかバー」。そうそう、あのチョコが美味しいんだよねー、という感想が、つい頭の中に湧いてくる。
つまりは、すいかバーを知らないことには、楽しめない一句なんだけれども、それってプラス要素にこそなれ、マイナス要素にはならないだろう。たとえば「蚊帳」「炭」といった古い季語や、「常臥し」「戦友」といった、ある年代に共感を呼ぶ類の素材を扱った俳句が、私の経験や年齢ではどうにも実感が湧かないように、読者のターゲットをおのずと絞ってしまう俳句があったっていい。そういった句は、「私には分かる!」という偏愛を呼ぶ強さがある。
穴開きしれんげや冷し担々麺 猿丸
ということで、掲句も、「あるある感」を共有できない限り、楽しめない句なんだけれど、私なんかは、「穴、開いてる開いてる!」と、嬉しくなってしまうのである。高浜虚子の「茎右往左往菓子器のさくらんぼ」に対して「さくらんぼの茎って、確かに右往左往してるよねー」と共感するのと、おんなじ感覚である。
ここでも、「や」で語調を整えていること、「坦々麺」という語感のリズムのよさが、印象的だ。
猿丸俳句は、その素材の選択に特徴を見出されることが多い。私も、およそ俳句には詠まれてこなかった素材を、きちんと俳句に仕立て上げる手腕に、いつも感服する。けれど、猿丸俳句の面白さは、素材を見つけてきたことだけではなく、むしろ「きちんと俳句に仕立てあげる」過程にあって、そこに、リズムのよさとか、リフレインの問題なんかも関わってくるのではないんだろうか。この過程を見落として、素材にのみ評価を向けると、猿丸俳句の醍醐味を、ほんとうに味わったことにはならないだろう。
2009年9月23日水曜日
ついったー小説
Twitterというウェブサービスをご存じない方も多いかもしれない。
ブログとチャットの中間くらいの感じのモノで、なんにせよ使っていただくことが理解への早道ではあるが、もうすこしだけ具体的に説明しておきたい。
まずはTwitterのサイトでアカウントを登録する。
もちろん無料であり、mixi等のSNSと違って紹介なども不要である。
ちなみに、登録しなくても他人の投稿の閲覧、検索は可能であり、Googleなどの検索の対象にもなっている。
登録するとTwitter内に自分のアカウントに対応したページが作られ、そこへ140文字以内のテキストを随時投稿することができる。
この時点では時系列にしたがって自分の投稿が表示されるのみだが、他のユーザーを「フォロー」すれば、そのユーザーの投稿も同時に表示されるようになる。
この、フォローしているユーザーたちの投稿と自分の投稿がごちゃまぜに表示されているビューのことをタイムライン(TL)と呼ぶ。
時の流れとともに上から下へとさまざまな記事が流れて行く様子を、川にたとえる人もいるようだ。
フォローするユーザーが増えると、TLの流れはより速く、より多様になる。
また、自分をフォローしているユーザーに対しての返信機能もあり、TL上での対話もしばしば行われる。
ちなみにTwitterへの投稿のことを日本語では「つぶやき」と呼ぶ。
英語のtwitterは「囀る」という意味だが、直訳すると若干ネガティブな印象があるので「つぶやき」となったのだろう。
Twitterの機能のひとつにハッシュタグ(タグ)というものがある。
これは、つぶやきの文中に「#」ではじまる半角文字列を挿入し、それを標識として仕分けを行うというものである。
この機能は検索機能とリンクされており、タグの文字列をクリックすると、そのタグを含むつぶやきが一覧表示される仕組みになっている。
たとえば#haikuというタグ(英語圏のユーザーがほとんどなので、このタグは事実上英語のhaikuに対応している。日本語の俳句に特化したタグとしては#jhaikuというものがある。)を使って俳句を投稿している人もいるし、#tankaというタグもある。
つぶやきに挿入した#tankaというタグをクリックすると、Twitter上に投稿された短歌作品が新しいものから順にずらりと表示されるというわけである。
このようなタグのなかで日本語ユーザーに人気のあるもののひとつに#twnovelというものがある。
これは小説家の内藤みかさんが提唱されたもので、140文字(実際にはタグと区切りの半角スペースがマイナスされるため、131文字が上限)の範囲内で完結する小説を対象としたものとされている。
現在かなりの数のユーザーによってこのタグを使用した作品(「Twitter小説」「Twitterノベル」「ついったー小説」などと呼称される)が投稿されており、一日の投稿数が200以上にのぼる日もある。
私も先月半ばくらいからこの形式による創作を実践しており、一日4~5篇を投稿していたときもあった。
今では少しペースダウンしているが、これを書いていると、約130文字という制約はなかなか絶妙であるという気がしてくる。
最初のうちは書くことが非常に楽しく、熱に浮かされたような感じで書いていた。
とりあえず「ついったー小説」を書く私は、今その少し退屈な時期を迎え、一休みしている状態である。
このタグの定義、使用範囲については、過去若干の議論があったようで、長編を連載する場合には使用せず(シリーズものは可)一話で完結するものに限るということがおおよそのコンセンサスとなっているようである。
私なりにこれを定義してみると「Twitterの文字数制約内で書かれている、完結し、自立した日本語の散文による文芸作品」ということになるだろうか。
フィクションかどうかという点で線を引くことも可能だが、私小説のようなものを排除したくないという思いがある。
自立という点で、批評、評論に類するものは除かれるだろう。
また、完結という点で続き物の長編は除外される。
俳句、川柳、短歌などの定型詩や自由詩も、散文作品という点において対象外となる。
散文詩はおそらく上記の定義のボーダーライン上のものとなるだろう。
私自身の作品についても、小説というよりは散文詩に近いものが多いと思うことがある。
もちろんこれは、あくまで個人的な運用方針である。
ちなみに、上記とは別に自分自身に課している努力目標として、できるかぎり文字数の枠いっぱいまで使い切る、ということがある。
タグの定義の問題だけでなく、作品批評の充実や著作権保護など、新しい文芸の形式としての普及、定着に向けて課題はいろいろとありそうだが、とりあえずそれは棚上げにして、ここに私自身の作品を十篇ほど転載しておく。
#twnovel 鹿から鹿をつくる奈良の鹿職人。一頭の鹿から二頭の鹿を作れるようになると一人前だが、修行はきびしい。三頭の鹿で一頭をつくるところからはじまり、数年で二頭から一頭を作れるようになる。もちろん彼らは奈良公園の鹿の数を増減させないよう細心の注意を払っている。
#twnovel 黒猫をなでながらその骨格を組み立てなおし五重塔をつくったら夕立がきた。そこで今度は傘のかたちにして右の後足を握った。雨がやみ、ずぶぬれの黒猫をしぼったら三毛猫になった。しかたないので硯の海を泳がせたらもとの黒猫に戻ったが、体長は約3センチになっていた。
#twnovel 静物画のなかから林檎を取り出してテーブルに置く。静物画の林檎はなくならない。もう一度取り出して置く。やはり絵の中の林檎はそのままで、テーブルには二つの林檎。皮を剥こうとナイフをあてたら、絵の具がぽろぽろとはがれ、林檎の質感をもつ闇があらわれた。
#twnovel 滝の中ほどにある無人駅。屋根はなく、真上から激しい水流が間断なく落ちてくるので、列車から出るとずぶ濡れになってしまう。駅から外へゆく通路はなく滝壺を泳ぐしかない。ここで降りるのは修験者のみである。彼らはひととき瀧にうたれ、次の列車に乗って帰ってゆく。
#twnovel 記念日にわが家では雲を切り取って壜に保存します。これが私が生まれた日の雲です。薄暗い戸棚に置くとただの空っぽのガラス瓶ですが、このように青空にかざしてみると、ほら、38年前の雲だけど、少しも濁らず、きらきらと絹のようにこまやかに陽の光を跳ね返すでしょう。
#twnovel 砂の山の頂上を目指して登っていた。飴色の満月が空にかかり、砂は銀色に照らされていた。そこここに睦みあう男女の影がゆらいでいたが、そのように見えたのは鉱夫たちが女のかわりに爬虫類を抱いているのだった。頂上には月から零れた蜜の池があり、啜ると背中から蝶が飛び立った。
#twnovel 姉が鏡に捺した人差し指の指紋が砂漠となり、その中ほどを駱駝に乗った隊商が進んでゆく。この家のどの部屋からもアメリカは見えないが、この鏡にはいつもアメリカが映っている。隊商はアメリカの破片を拾って運んでゆく。姉の涙が落ちてオアシスになりそこで隊商は休息する。
#twnovel ハンドクリームの海で泳ぐおまえの指がイルカになって、太陽と同じ高さに掲げられた火の輪をくぐる。そのとき俺の人生のすべてと同じ重さのドラえもん貯金箱が割れた。あふれ出した貝殻をお前は器用に拾い集める。それらは衣装、宝石、鞄、靴になっておまえを飾る。愛でたし。
#twnovel 万華鏡の中に石や貝殻、ガラスの破片などを入れて遊んでいた。飽きたのでをナメクジと巻貝を入れると蝸牛が這い出した。面白いので男と女を入れてみると女が妊娠した。次にタンカーと財宝を入れると海賊船が出てきて私は船長になった。太陽を入れようとしたら船が燃えた。
#twnovel 夕焼を纏った女たちがテラスを歩く。サッカーボールをシャンパンで拭う子供たち。クラクションの塊が出島を封鎖する。豚の心臓を旗印に一揆はカフェで一服中。出番前のソプラノはペットの半獣神と散歩。男たちは夕食のため念入りに時計を殺す。眼球の品評会が始まるまでの彼誰時。
2009年9月22日火曜日
haiku&me 8月の俳句鑑賞(2)
カンテッラとはかげろふの歓びに 青山茂根
鈴虫を連れ隊商(キャラバン)の最後の一人
ゆったりとしたリズムが心地よい。俳句は時間性の抹殺と言った大批評家がいるみたいですが、上の3句には溢れだすような時間の流れを感じます。「八月十五日」の句、太平洋戦争そのものではなくて、1980年ぐらいまではぎりぎり続いていた「戦後」の感覚がノスタルジアの対象になっていると(勝手に)共感して読ませていただきました。
零戦に尾鰭背鰭のありにけり 上野葉月
の句も、無機物を生物化しつつグロテスクにならない、ポスト「戦後」の造形ですね。最近、現代川柳にハマっているワタシとしては、「ありにけり」のところにもうひとひねりの〈悪意〉が欲しくなってしまいますが……。
すいかバー西瓜無果汁種はチョコ 榮 猿丸
穴開きしれんげや冷し担々麺
みごとなクロースアップ感覚で、すいかバー、冷し坦々麺のことしか言っていない(笑)。グルメブログに載った、ケータイ・カメラで撮った写真みたいでチープ(すんません、笑×2)。しかし、じつに旨そうです。すいかバーの種のプチプチはたまらんですねー。メタボ対策もばっちりです。
助手席の少女越しなる花野かな 浜いぶき
こちらはデジカメ的。少女と花野のどちらにピントがあっているのかが気になりますが、まあ花野だろうなあ。(少女に焦点が合ってるとしたら、運転してるのは野郎になりそうですね。だとすると「ちゃんと前向いて走れ」って突っこんでおきたい。)
赤姫に臓腑の無くて日傘かな 中村安伸
秋空の一点に吊る転害門
「赤姫」は歌舞伎に登場するお姫様役(赤い衣裳を着るから)、「転害門」は奈良・東大寺にある国宝の門、だそうですが、調べんと句だけでは分かりませんよ(調べれば分かる、と言われればその通り……)。もっとも鑑賞には、趣味性が高い言葉をねじこんで季語の支配を中和し、句をコトバとして読ませるというタクラミを見てとれれば、さほど問題なかろうと思います。「赤」い「姫」、「害」を「転」ずる「門」、まことに魅力的なコトバ。ここまでくると、句の中心は「臓腑の無くて」「一点に吊る」というツナギの部分にあり。俳句とはフィクションである!(というと言い過ぎ?)
haiku&me、各人の趣味性が全開で、じつに味わい深いです。これからの俳句のゆく道はここにあるような気も、しなくもないとはいえなくもないかと思われなくもないです。
2009年9月21日月曜日
かえってきたムーンライダーズ『Tokyo7』
昨年暮れから今年の六月にかけて、ネットでの配信オンリーでほぼ月イチペースで新作六曲を発表。これらは、今回の新譜に入ると思いきや、生産限定ミニアルバム『Here We go'round the disc』としてまとめられた(もう売り切れ)。そして今作である。
ネットでの新曲は、ある意味ひじょうにライダーズらしい楽曲だった。今作もその延長線上にあるのかと思ったら、みごとに期待を裏切ってくれた。
ロックである。ロックバンドである。音色が明るい。ムーンライダーズにしてはすっきりしている。ここまでドライブ感のあるロックは、はじめてではないか。ライダーズのキャリアを振り返ると、『青空百景』『アマチュア・アカデミー』『A.O.R』『月面讃歌』を彷彿とさせるが、しかし、それらもポップではあったがここまで軽やかではなかった。なかでも「夕暮れのUFO、明け方のJET、真昼のバタフライ」は驚いた。FMでパワープレイされてもおかしくないぞ。すばらしい。
この変化は、裏ジャケや中ジャケにも写真がばっちり載っているサポートメンバーのドラマー夏秋文尚の存在が大きいのではないかと思う。白井良明(そういえば今日、彼が音楽監督を務めた『二十世紀少年』を観てきたのだった)のギターが前面に出ているあたりもふくめ、昨年暮れからコンスタントに行ってきたライブ活動の勢いがそのままダイレクトに反映された結果が、このドライブ感につながっているのだろう。
そうは言いつつも、最後の三曲、「パラダイスあたりの信号で」「旅のYokan」「6つの来し方行く末」は、近年のライダーズらしい内省的で重厚な作品になっている。しかし、音はやっぱり明るく軽い。従来なら音も歌詞ももっとヘヴィーに展開するはずなのに、あっさり終わる。それが物足りないというわけではない。むしろ、より高いレベルでポップミュージックとして昇華されていると言ったほうがいいだろう。
メンバーがホテルで記者会見している風のジャケットの写真。キャピトル東京でのビートルズの来日会見を彷彿とさせる。それもあってか、最初に聴いたときは、ビートルズの「ホワイト・アルバム」を思った。楽曲的にバラエティに富んでいて、まとまりに欠けているように思ったのだ(というか、「本当におしまいの話」は、ホワイト・アルバムの「ピッギーズ」へのオマージュだし)。ならば、ミニアルバムで出したネット配信曲も入れて、2枚組で出せばよかったのに、とも思ったが、いま、2回目をヘッドフォンで聴いて、サウンド的にはひじょうに統一感があるのがわかった。
ムーンライダーズというバンドは、アルバムを出すごとに、ファンの思惑を裏切ってきた。驚かせてきた。従来のファンが離れようとも変貌しつづけてきた。しかし近年は、「ライダーズらしいな」とは思っても、驚きはしなかった。だって三十三年やっているんだもの。そうなるでしょ。ファンもそれを自然と受け入れていた。ところがである。ひさしぶりに驚かせてくれた。大御所感ゼロの腰の軽さを見習いたい。『火の玉ボーイ』から三十三年間走り続けて来た現在進行形のロックの傑作である。
蜜厚く大学芋や胡麻うごく 榮 猿丸
2009年9月18日金曜日
― R-18 ―
飛行機を降りて夜食の民の中 青山茂根
平日の午前中の映画館は、それぞれ特有の空気がある。近頃のシネコンとかではなく。今回の映画は、昔の友人が関わっていなければ谷崎潤一郎原作物とはいえ、映画館まで足を運ばないところだが、ある年齢以上の方には興味ある作品だろう。前作は非常に話題になり、観客には女性も多かったそうで、その前作の女優さんが共同監督しているのが今回のリメイク作『白日夢』だ。まあ、知り合いも成り行きで関わることになったとは言ってたが、こうして見てみると、『棒の哀しみ』(神代辰巳監督 1994年)などの不条理さの表現 は卓抜したものだったことが改めて判る。脚本もどうなの?というところで、前作を見ていないのでなんとも言いきれないが、何よりも、衣装が生きていないのが気になる。浴衣の下に現代の下着、というのも考え物だが、予算のキャパが見えるとはいえ、うーん、もう少し何とか。エリック・ロメールはクランクインの前に、主演女優たち(といってもロメール作品なので皆が知ってるような大物は使わない)と衣装を選びに行くのを楽しみにしていたそうで、ちょっとしたシーンの衣装も、場に合った、見ていて楽しくなるものだった。大物デザイナーやら、有名ブランドの衣装が宣伝まがいにとっかえひっかえ出てくるハリウッド映画とは異なる、その辺にありそうでいながら、色彩や意匠にちょっと気の利いたセンスのあるスタイリングなのだ。日本でも、脚本と配役が決まったらまず衣装、と言う監督もいるそうだが、そんなところに着目するのも映像を見る楽しみの一つだ。
久々に訪れた三原橋界隈が、全く変わっていないのには驚いた。銀座の主だった通りが、裏から表まで高級ブランドだらけな中に、凝った店舗設計にはしているが庶民感覚でしかない店が混在するという、以前の銀座とはかけ離れた印象になっているのにもかかわらず。その映画館も、付近に並ぶ店も、階段を下りた途端に昭和そのままの異空間である。さすがに、その地下街では飲んだことがないが、有楽町から新橋へのガード下(外国人の陶芸家がフェリーニの映画のようだと評していた)あたりが近年庶民感覚を残しつつも多少きれいに改装されているというのに。最近の渋谷あたりのひどさ(センター街の無法地帯や、T急本店の向かいにDキホーテって許容し難い)に比べたら、このような空間の一角が残るのはまだ末期症状ではないのかもしれない。
東銀座近辺は、以前仕事でよく来たところで、編集スタジオの中まで聞こえてきた、サリン事件の日の、一日中鳴り止まなかった救急車のサイレンの音を今も思い出す。裏通りの路地は、やはりほとんど変わっていないようで、しかしその頃知っていた店(よく出前を取っていた、歌舞伎座の楽屋にも出入りしていたシチュー屋もあったはず)は見つけることができず、適当な蕎麦屋に友人と入って飲んだ。この蕎麦屋で明るいうちからちょっと飲む、というのも(いや、本当にちょっとだけです)、かすかな後ろめたさを感じつつふうわりと弛緩した心地よいひと時で、仕事をしていた頃はたまに出かけた。たいてい、徹夜続きのプレゼンがやっと終わり、ランチタイムも過ぎた頃に何か食べられる状況になったときに、どこも昼の時間が終わってるから蕎麦屋にでも、じゃあちょっと行きますか、という流れだった。赤坂のS場は、いつも決まった曜日の決まった時間に、いつもの席で大島渚監督(『戦場のメリークリスマス』1983年しか見ていないが)が一人で飲んでいて、〆にざるを啜っていた。あまりに人気店だと落ち着いて飲めないので、店舗が大きすぎず小さすぎず、出汁巻きやらとりわさやら天ものといった、ちょっとした自家製のつまみが頼めて、蕎麦もそこそこにだが、敷居の高すぎる店ではないほうが適当なのだ。他に、アテネフランセを降りたところにあるM翁や、白金のT庵などによく行ったが、東銀座あたりではそういえば行ったことがなかった。適当に入ったその日の店ももうひとつで、沸々とリベンジしたい気分になってくる。そんな心持ちも、学生の頃の、昼間に入る映画館とは違う、或る程度年齢を過ぎた者のためにある、小さな楽しみだろうか。
2009年9月17日木曜日
haiku&me 8月の俳句鑑賞
水に棲むやうに遠雷を聞きぬ 青山茂根
しとり、とした感覚をみました。アパートのベランダからおしろい花が雨に濡れるのを見る様な。なにやら、水に住むように遠雷を聞く、という事柄にはイメージの出発点としての強度があるように思える。つまり、この心象風景にどこか共感を覚えることができるということなのです。
どこへも腰をおろさせて呉れないようなところ、ふわりと余韻を欠落させたような態度も気になるところ。あら、なにか、イメージが立ち上がると見せて、直立はさせない。
そういった完結しない、イメージがよぎっては、澱のようなものを残して去ってゆく。陥没したアスファルトにできた冷たい水溜まりの底の、細かい砂のようなイメージと不安定な俳句のリズムがうまく一致したようなところがあるようにも思う。
ただ僕は、この句に関して端的に言えば、耽溺したくなるような湿度を帯びている。そこが好きなのだと思います。
秋の蚊やジグソーパズルとなる笑顔 中村安伸
かゆい、かゆい。
虫刺され跡にも色々ありまして、この場合、どうやら、広い範囲にはれ上がるパターンのようです。
「笑顔」ときて、初めて、口角があがるとき、さぞうっとうしいだろうというような、触感覚をもって読み手に迫るのである。そしてこの「笑顔」によって、虫に刺さされた顔のジグソーパズルという表現も特に生きてくるように感じる。
ロックフェスティバル先づ麦酒のむ草に坐し 榮 猿丸
この句は好きです。
ロックフェスティバル先づ麦酒のむ」までの期待感、俳句らしからぬ、軽やかで新鮮な雰囲気、モチーフ選びの妙。大凡のものでないものをかんじます。ただ、草に坐し、とおさまると、すこし、座りが良すぎるというような、なんというか、物足りなさがなくもない。見たことのある場面。それ自体が悪いわけではないが、もう一歩、ズイと肉迫する五文字。熱くなって、細い煙がたつような五文字。しばしつかみよせる握力。あればもっと、もっと素敵だと思う。
すいかバー西瓜無果汁種はチョコ 榮 猿丸
大体において、料理に於いて失敗の原因になるものは味見のし過ぎ、それによる味濃度の上昇である。できたら、ハイ!これの大切さ。灰汁のなさ。ただ見つけたもののさり気なさ。(さり気ないということばの帯びた、あざとさ、これはいまだけ忘れて呉れ)
穴開きしれんげや冷し担々麺 榮 猿丸
軽いと軽妙の間。作為が見えない、形のよい小石の様な所があるように思えます。加えてそれを五七五として生み出す不自然に発達したムスケルの存在も感じることができた。ダイエット効果もある穴開きレンゲをよろしくおねがいします。
2009年9月16日水曜日
歌舞伎座のおもいで
二等席をとり、お弁当は晴海通を渡ったところにある日ノ出寿司で購入した。
学生のころは歌舞伎研究会の団体観劇で、毎月のように歌舞伎座の三階B席に来ていたが、そのときのお弁当も、たいてい日ノ出寿司で一番安い折り詰めを買っていたのだった。
歌舞伎観劇のとき、何を食べるかというのは重要である。
昼の部、夜の部、どちらか片方しか観ないとしても4時間前後はかかるのでお腹がへる。
ただに空腹を満たすというだけではなく、観劇の気分を削がないものが望ましい。
もちろんお酒は飲まない。
せっかくの舞台鑑賞で、わざわざ感覚を鈍磨させるものを摂取するなんておろかなことである。コーヒーは飲む。
3階のカレー食堂や2階の蕎麦屋で食べることもあるし、時間に余裕があるときは近くのデパートなどで惣菜を買い込んでいくこともある。
ちなみに吉兆には入ったことがない。
歌舞伎座は老朽化のため全面改修されるとのことで、現在「さよなら公演」が行われている。
これらの店舗は改修で様変わりしてしまうのだろう。
学生のころ、団体観劇のほかに一幕見席にもしばしば通っていた。
この大きな歌舞伎座の一番上、四階席まで階段で上るのはなかなかしんどいが、年配の方も一生懸命登っていらっしゃる。
自由席なので、先着順の列に並ぶのだが、この階段の間にすこし順序が入れ替わることもある。
社会人になってからは、土日に三階席のチケットがとれなかったときなど、昼夜通しで一日中一幕観席に居座るなんてこともあった。
そのようなときは、昼食と夕食とお菓子を紙袋に詰めて持っていったりした。
改修後も一幕観席は残され、エレベーターが設置されるという。
歌舞伎座の席種ごとの客層の違いは明確に存在するが、単純に一等が金持ち、三階が庶民というわけでもない。
一等席には、年に一度の観劇を楽しみにしている地方のご夫婦なんかも多くて、それだけに非日常感は格別である。
三階席は大向こうや毎日のように通い詰めているマニア、それに学生など若者が多い。
一幕見席は三階席と似た傾向ではあるが、よりマニアックな人々がいる一方で、海外からの観光客などもいたりする。
安い席のほうがより混沌とした様相があって、昔ながらの庶民の娯楽としての歌舞伎興行の一面が残されている気がする。
さて仕事を辞めてからはお金のほうはともかく、歌舞伎座にいく時間はふんだんにありそうなものなのだが、そうなると逆に足が向かないものだ。
七月はかなり久しぶりの観劇だった。
私が見た夜の部の演目は「夏祭」と「天守物語」のふたつである。
「天守物語」で使われた緞帳は、案の定というかなんというか、私が昨年まで勤務していた会社が寄贈したものだった。
この緞帳は白と銀色を基調としたなかなかに品のよいもので、私も気に入っていた。
それだけに、いろんな芝居にマッチし重宝されているようである。
とりわけ鏡花の幻想的な芝居などには必ずといってよいほどこの緞帳が使われる。
かつてはこれを見るたびに少しばかり誇らしげな気持ちになったものだが、今となっては複雑である。
改修後もこの緞帳は使われつづけるだろうか。
緞帳の河緞帳の月映る 中村安伸
2009年9月15日火曜日
『東のエデン』
さて『東のエデン』。第一印象は「ハグがちっちゃくない」。
その後の印象も「ハグがちっちゃくない」。
そういえば映画『ハチミツとクローバー』のときも「ハグがちっちゃくない」と誰もが口にした。
そしてTVドラマ版『ハチミツとクローバー』の撮影時、成海璃子はたしか15歳ぐらいで大学生を演じるには若すぎたわけだけど、やっぱりみんなして「ハグがちっちゃくない」。
地球上のいわゆる炉な人たちを敵にまわす可能性もあるけどあえて言いたい、若けりゃいいというものではないだろう、と。
そもそも『ハチミツとクローバー』読者の八割以上は「がんばれ山田!
負けるな山田!」だったわけで、ハグのことなどどうでもよかったはずである。それが実写化のたびに「ハグがちっちゃくない」。もうコロボックルの呪いとでも言おうか?
その点『3月のライオン』は何しろ三姉妹なので、もう誰も「ハグがちっちゃくない」とは言わない。
むしろ「ハグがちっちゃくない」とはもう誰にも言わせまいという強い決意が感じられる。
羽海野チカ…恐ろしい子!(昭和三十年代風に表現するなら、お主伊賀者だな?!)
そういえばこの間、根来さんという比較的珍らし気な苗字の同僚のPCのシステム設定を直したとき、自前の外付キ-ボードがおしゃれで使いやすそうだったので「素敵なキーボードですね」と誉めたら、「キーボードを誉められた!!」と大騒ぎになってしまった。すません。ほかに誉めるところたくさんありました。本当にすみません。生まれてきてすみません。
(今回は『東のエデン』の話になりませんでした。すみません。生まれてきてすみません。)
鍵盤を滑る指先秋桜 上野葉月
2009年9月14日月曜日
どぶ板のヘイ・ジュード
「イエロー・サブマリン・ソングトラック」は、リミックスである。今風の音の定位になっている。これは衝撃だった。だれもが驚いたのが、ドラムだ。ものすごい迫力で、「リンゴってすげえな」と再評価されたものだった。
そのあと、「レット・イット・ビー・ネイキッド」が出た。「レット・イット・ビー」といえば、メンバーが投げ出したものをフィル・スペクターがホーンやストリングスを配し再プロデュースして完成させたアルバムだが、そうした過剰なプロデュースをポールは気に入っていなかった。「ネイキッド」は、そもそものコンセプトであった、「バンドの原点に帰って、オーバー・ダビングを一切しないそのままの音」としてリミックス、リマスターされたものだ。ファンの間でも、従来の「レット・イット・ビー」は、フィル・スペクターの色が出過ぎているという理由で、あまり評価が高くなかった。ぼくもそう思っていたのだが、聴いてみて思ったのは、「フィル・スペクターってすげえな」というものだった。よくこれらの素材を、あそこまで仕上げたなと、従来の「レット・イット・ビー」の方が断然よいと思ってしまった。音がクリアになったのはいいが、今度は、「あれ、リンゴって下手なのかな」と思ってしまったり。ポールの声、でかくねえか、と思ったり。レット・イット・ビーの間奏のギターも違うものになっていてがっかりした。全体的に音のバランスが悪いのだ。というわけで、「ネイキッド」は全然聴いていない。
やっぱり、リマスター早く聴きたい。でも、ボックスで買うか。一枚ずつ買うか。一枚ずつ買って、結局全部買ってしまったら後悔しそうだし。ステレオ盤は、やっぱりドラムとかヴォーカルが右や左に振られているのだろうか。ならばモノラルの方がいいかな。いや、迷う。
数年前、横須賀のどぶ板横丁の小さなバーで、カウンターの隣に座っていた黒人の女性がひとり、泣きわめきながら酒を飲んでいた。「ごめんね、この娘、失恋しちゃって」とママが言う。ぼくは「大丈夫ですよ」と言いながら、どうかこっちに絡まないでくれと祈る。付き合っていた頃に彼からもらった手紙を読んでは泣き、読んでは泣き。そのうちカラオケを歌い出した。「やさしく歌って」。おどろくほど下手だ。すでに髪はボサボサ、マスカラは剥げ落ちている。失恋ソングをどんどん入れる。ビートルズの「ヘイ・ジュード」を入れるが、泣いて歌えない。するとママが「歌ってあげてくれる?」と僕の方にマイクを持ってきた。ここでくるか、と思いつつも断り切れず、「ヘイ・ジュード」を唄うぼくに彼女が抱き付いてくる。安い香水と体臭が混じった匂いのなかで、そういえばこの曲長いんだよな、と後悔するも後の祭り、半ばやけになってラララ…と唄ったのも今となってはなつかしい。
恋文を燃やす灰皿秋暑し 榮 猿丸
2009年9月11日金曜日
― 眼鏡 ―
道草といえば、引越しの済んだ空家や、解体を待つ古い家屋に潜り込んで、何か拾ったり基地ごっこをして遊んでくるのが常だった。しんと静まった、古びた建物の周りで、散らばったビーズや風呂場のタイルの欠片を見つけては集めていた。打ち捨てられた物から、そこに住んでいた、見知らぬ人々の暮らしを、いろいろに想像して世界を作り上げるのが好きだったのかもしれない。最近は犯罪などの現場になることを恐れてか、厳重に囲われているので中をうかがうことも難しいが、私の幼い頃はわりとその辺りがおおらかで、子供が多少遊んでいても行きかう大人は皆大目に見てくれていたようだ。慌てて引越しの荷物からこぼれてしまったガラクタに、そこに住んでいたであろう子供の年恰好を思い、勾玉のような形をした水色や白や泡に似た模様のついたタイルの一片は、空想の海底世界を作り上げる宝物になった。実際、あの頃のような、平面が美しく揃ったタイル張りの浴室の壁は、もう残っている家が少ないだろう。誰も住まなくなった家の、そこはかとない寂しさ、残された記憶の欠片に、言いようのないノスタルジーを感じていたのかもしれない。
今でも、解体中の家の前などを通るとき、胸が痛む思いがする。全く見知らぬ、誰かが住んでいた家なのに、建物とともにそこに人々が過ごした時間まで壊されていく気がして、つい足を速めてしまう。待って、と手を伸ばしたくなるのを、胸の奥に押しとどめて、立ち去る。すでに室内のものはあらかた運び去られた後だろうに、まだ何か潰してはいけないものがそこにある気がするのだ。
『地球家族』という写真集は、確か最初は洋書で『Material World: A Global Family Portrait 』で出ていたはずだ。世界中の様々な国で、一軒の家と、そこに住む人々、そして家の中にあるもの全てを家の外に出して一枚の写真に収めてある。最初に出版されてもうだいぶ経つので、日本人の暮らしぶりは今とは違うところもあるが、なんといっても、小さな家の中によくもこれだけ!と感嘆するほどこまごまと物が詰まっているのは日本の家がダントツなのだ。近頃は老夫婦亡き後の家財の処分が、遺族には大変な作業になるというので、そういった専門の業者も増えているようだ。何の随筆だったか、幸田文は「身じんまいをしっかり」と書いていたが、年老いてきたら身辺の整理をしておくという慣習は、薄れつつあるのだろう。身辺を見回しても、両親や叔父叔母の家も物で溢れている。いや、自分だって、こんなにも必要のない物に囲まれて暮らしていることに気づく。
名も知らぬ誰かの古い写真の数々、目で追っていると懐かしさが溢れるのは何故だろう。ちょっと重信に似てる、と感じるのはその時代の眼鏡のフレームの形がそうだったからか。そういえば、父のうんと若い頃のアルペンスキーを履いた写真もこんな眼鏡だったような。ごく普通の、市井に生きた人々の、誠実な暮らしが画像の中からこぼれ出てくるようで、プロではないカメラの撮り方が、むしろ魅力的にうつる。大森で、「山王書房」という小さな古本屋をされていた方のごくプライベートな写真を使用しているそうだ(随筆集『昔日の客』と『銀杏子句集』の著作のある故・関口良雄氏だという)。そして、ほとんどをその妻が撮影し、ところどころに写っている息子が大事に保管していた写真たちであることに、何か、古きよき時代の夫婦の、家族のあり方が見えるようで、今の我々には寂しいばかりだ。
2009年9月9日水曜日
タイ人の血液型
ただ、人々はたいてい、よく言えばおおらか、悪く言えば大雑把な気質で、そのために困らせられることもあるが、なんだかほっとしてしまった経験もある。
さて、血液型による性格診断にどれほどの信憑性があるのかわからないが、日本人で一番多い血液型は周知のとおりA型である。
一方タイでは圧倒的にO型が多いのだという。
なるほどと思ってしまった。
もちろん私もO型である。
この話を私は「Sweet Vacation Radio」というポッドキャストの番組中で聞いたのだ。
それはSweet VacationというJ-POPのアーティストがパーソナリティをつとめている短い番組で、サウンドプロデューサーのDaichiとボーカルのMayの二人が10分程度英語で会話するというものである。
Mayはタイ出身なので、上記のような発言が出たが、May本人はAB型であるということだ。
ちなみにDaichiは日本人でO型ということである。
この番組はyoutubeでも聴くことができる。
Sweet Vacationはテクノポップ、ハウスといった今流行のサウンドを基調としているため、Aira MitsukiなどとともにPerfumeのフォロワー的な扱いを受けることが多いようだ。
本家を含め類似とされているアーティストのなかでも、抜群に明快でポップ、昔のアイドル歌謡にも近い軽さがこのグループの特徴であり、グループ名の能天気さにもあらわれているとおりである。
実際にdaichiは80年代ポップの影響を受けていることなどを公けにしている。
また、このグループの魅力は、daichiの楽曲もさることながら、Mayの個性的な声質とルックスのキュートさに負うところが大きい。
女性ボーカルの声質の魅力にもいろいろあるが、Mayのそれには多少中毒性があるようだ。
公式サイト等のキャッチフレーズには「エアリーで透明感ある歌声が魅力」とあるが、わかるようでわからないのでyoutubeにあった動画を貼っておく。
さて、血液型の話題に戻るが、やはり血液型による性格診断は科学的には根拠が無いとされているようである。
しかしそれは、現在の時点で肯定するための根拠が発見されていないということであろう。
科学的、非科学的ということにそれほど頓着しない私はO型的な性格なのかもしれないが、よくわからない。
果てることなき休暇とも纏足とも 中村安伸
2009年9月8日火曜日
読めるけど書けない
大量の原爆忌俳句を眺めながら、自分でもちょっと意外だったが私は原爆忌俳句を選句したり作ったりすることはないのだなと改めて思った。
以前ブログにもちょこっと書いたが私の父は少年時代に長崎で被爆している。
そんなわけで私は所謂被爆者二世なのだが、核兵器に関して特に思い入れ(?)は無いつもりでいた。しかし原爆忌というだけでまったく取る気になれないのだ。自分では意外だった。
全ての被爆者にとって核兵器廃絶が悲願であることはさすがによく見聞きしているが、私は核兵器廃絶には危険な印象を持っている。結局被爆者二世は被爆者ではないという当たり前のことなのだけど。
人間は殺し合いをやめないという確信が私にはあって、それは「人間、死にたいと思う奴はいても老いたいと思う奴はいない」という心理的な理由から一足飛びに殺し合いの必然性に結びついてしまったりするのだからどうかと思うくらい単純な話ではある。さすが扱い易さと美貌が売り物。って自分で感心しててどうする。
ともかく決して殺し合いをやめない人類がヒロシマ・ナガサキ以降、まがりなりにも世界大戦を引き起こしていないのは、大量の核兵器がそれなりの抑止力を発揮していることがかなり強力な一因だと思える。これで地球上から核兵器が姿を消してしまったら人間たちは何を始めるか想像つかない。怖がりすぎだろうか?
自分が原爆を意識したというか被爆者二世であることを体感したのは少年時代無料で健康診断を受けていた時ぐらいだった。CIAから予算が出ていたそうだからまさにモルモット状態とも表現可能だけど。
ところでここまで書いてきてふと思ったのだが、被爆者の血を引いているというのは未だに結婚などの障害になったりすることがあるのだろうか?
「人間への放射線の短時間照射には遺伝的な影響はほとんど見られない」という研究結果をペンタゴンが発表したのは確か1980年ぐらいの出来事だったが、そんなことを記憶しているのはそれこそ自分たちに関するデータの集積による結果だったからで、一般の人たちの記憶に残っているとも思えない。
でもまあうちの息子たちは無駄にもてるから、深く考える必要もないか。
朝顔の薄い薄いと呟けり 上野葉月
2009年9月7日月曜日
元祖擬音師匠
しかし、得意の「擬音」は一段と磨きがかかっていた。「擬音師匠」と言えば、お笑い芸人の宮川大輔だが、元祖擬音師匠は、IJである。たとえば、ハイヒールの音。ふつうは「コツ、コツ…」と表現するが、彼の場合は、たとえるならエドはるみのギャグ「コー!」みたいな感じで、口を「O」の字に開けて、喉の奥から息を絞り出すように発音する。めちゃめちゃリアルで怖いのである。彼は擬音に命を懸けている。今回ここまでやるかと思ったのが、車のワイパーの音。手で動きを模しながら、「ウィーキシ、ウィーキシ…」と延々やっていた。あまりに凄くて、笑ってしまう。じつは以前、ほぼ真正面の最前列に近い席で見たことがあるのだが、そのとき、顔の表情や擬音のあまりの凄さにツボに入ってしまって笑いがとまらなくなってしまい、会場の一番後ろに行って立って見たということがあった。今回は後ろの方の席だったので大丈夫だろうと思っていたが、やっぱり笑いがこみあげてきてしまった。これは馬鹿にしているのではない。芸が凄まじすぎて笑ってしまうのである。もちろん、肝心のところでは本当に怖い。しかも話の幅も広い。今回の中でも、スティーブン・キングかというような話もあった。ハリウッドで映画化されてもおかしくない出来だ。
話芸だからしようがないのだけど、アンコールがあってもよかったと思う。過去の名作の中から一席演るのだ。「おお、『先輩の鳩』だ!」なんていったら楽しいだろうな。何度聞いても怖いのだから。もう秋だが、今日は日中とても暑く、会場を出たら寒いくらい涼しかった。
怪談の擬音が怖し夜の秋 榮 猿丸
2009年9月4日金曜日
― 青いパパイヤ ―
調べものをするときにも、ついお堀端の図書館へ行ってしまい、なかなか大久保の専門図書館へ足が向かない。開館時間が11時と遅く、学校の下校時刻に間に合うように慌てて戻るといくらもはかどらないこともあるが、どちらかといえば天井の高い建物が落ち着くこともある。検索がPCでできることも一因だが、大久保近辺は本当は足を運びたい場所なのだ。韓国料理やらタイやらミャンマー料理の飲食店が選ぶのに迷うほど並んでいるのも、ディープエスニック料理好きには堪えられない。以前、その辺りのミャンマー料理店で夕食を食べていたら、隣のテーブルの人々が感極まるといった感じで乾杯を重ねている場面に出くわしたことがある。聞いてみると、その日アウンサンスーチー女史が軟禁状態から開放されたのだった(現在また三度目の拘束をされている)。遠い異国で、こうして感涙に咽ぶ人々が、せっせと外貨を地下組織で現政権と闘う人々に送金しているのだろう。のんびりと箸を動かす自分たちが、少々恥ずかしくなった。
JRの駅からその図書館へ向かう途中に、なんてことない八百屋だがスーパーだかがあるのだが、この時期は店頭に青いパパイヤが山積みされているのだ。赤ん坊の頭ほどもある実が驚くほど安い。家の近くではまずお目にかかれないし、生協など宅配の食品と一緒に頼むと小さな実がその何倍もする。へたすると、中華街の八百屋より安いくらいだ。幾つも背負って帰りたいくらい(いやどうせ食べきれないか)だが、二個を手提げに収めるのが精一杯なのが悔しい。
沖縄のリゾートなどへ泊まっても、やっぱりレンタカーかタクシーで地元の町を回ることになる。洗練されたリゾート内のレストランにはすぐ飽きてしまって、地元の人がくるおいしそうな食べ物屋で、地のものを食べて飲んでのほうが楽しいのだ(アジアや沖縄は特にそうだ)。表通りの裏にある、人々の日常を覗くのも面白い。しっくいの塀の無い家には、生垣がわりのハイビスカスが植えられていて、家の裏手にはパパイヤの木がある。何故常に裏手に植えられているのかは謎だが、、ひょっとして本土の枇杷の木のようないわれがあるのかもしれない。たいてい、パパイヤの青い実が数個ぶら下がっている。冷蔵庫に一週間放っておいてもあまり痛まない性質ゆえ、台風などのときにも自給自足できる野菜として重宝なのかもしれない。
青いパパイヤをサラダ仕立てにした料理は、なんといってもベトナムを印象付けるもので、旅先でその味に魅了されてから、帰ってきてレシピを探した。ヌクマムもいまやどこでも手に入る。アレルギー体質のものには、完熟の果物としてのパパイヤより、青い野菜としての味に安堵する。といっても、調理するときにはかぶれることもあるのでとにかく手早く水にさらす。サラダだけでなく、チャンプルーにも、棒々鶏風に調理しても美味しい。 『サイゴンから来た妻と娘』という、現地特派員だった新聞記者の方が書いた本があった。著者が故人となって何年にもなるが、いまだにユーモラスかつ温かな筆致は色褪せない。かわいがって飼っていた兎をある日けろりと食べてしまうエピソードがなんとも印象深い。食に貪欲な民族なのだ。ベトナム人は男性でも50種類のスープを作れるというし、虫や爬虫類の料理法が豊富にあるのももしかしてベトナム戦争などでレジスタンスが長引いたせいかもしれない。
トランアンユン監督の『青いパパイヤの香り』(1993)、画面の中の料理にもそそられるものがある。映画とは、欲望をテーマとしたものが多いからか。そういえば、欲望の香りがしないでもない。
誰が袖にあらずや菊枕咬めど 青山茂根
2009年9月3日木曜日
時々気になるのだが
そういう訳で最近第五巻の出た『神様ドォルズ』であるが、第一巻が出たときの騒ぎは記憶に新しい。
触れれば血の噴出すような伝奇アクションとしての内容を完全に置き去りにしたままの第一巻腰帯の煽り文句。
「ロリと巨乳のキャッチー攻撃!」
あれにはぶっ飛びました。小学館の編集はよくあれを許容したな?
と世のマンガ好きの間で話題騒然。マンガの内容放ったらかしで腰巻ばかり話題に。私の友人の中には小学館の社屋が倒壊してないか心配してわざわざ千代田区まで見に行った奴まで出る始末。
その後も物語はシリアスな緊張感を保ったまま、数多の萌え要素が頻出することに。女教師とか、ド田舎とか、巫女装束とか、ド田舎とか…。
それにしても昨今の田舎こそ萌え最前線という風潮には行き過ぎがあるような気がする(たとえば「青春☆コンブ」http://sky.geocities.jp/teyuyu/
とか)。
それはともかく『神様ドォルズ』であまりに東京組の出番がなかったため、10話ぶりに登場したデコメガネが「作者のやろー、このマンガの人気はわたしが支えているのわかってんのかしら?」とのたまう始末。はい、みんな好きです、オデコでメガネの女子大生。はいはい私ももちろん好きですオデコでメガネの女子大生。そりゃ普通、巨乳でもロリでもなくオデコだったりメガネだったりしますよね、一般的には(違いますか?)。
そういえば私は妹萌えという概念がどうも理解できない(プロファイルに美少女には耐性がないとか書いているくせに)。長年マンガを読んできて可愛いとか思った妹キャラは『でろでろ』の留渦ちゃんぐらいなものだ。妹なんて都市伝説だとか言い出すつもりはないがやっぱりマンガでは妹萌えを理解できるようにならないのだろうか。ギャルゲーで大脳の特定部位を長時間刺激続けたりする必要があるのか(そんな無駄なこと?)。
さて『神様ドォルズ』第五巻にいたってはなんとゴス系黒服ニーソックス装備のミドルティーンの女の子。しかも姫様キャラ(平伏せ平民ども!)!!
そう、なんというかすでに総力戦状態。相変わらずどいつもこいつも凶暴だけど。
きっと未だに名前だけで姿を現していない匡平のいとこの紫苑もどうせとんでもない奴に決まっている。
それにしてもやまむらはじめって元々こういう傾向じゃなかった気がするのだが。
肖像の首長くあり桐一葉 上野葉月
2009年9月2日水曜日
虚子と碧梧桐
帰省中の私の急なお願いにもかかわらず、関西の豈同人を中心に、15人もの俳人の方々が集まってくださった。
当日会場では子規と虚子を中心とする特別展があり、二人とその周囲の俳人に関する書などが展示されていた。
子規の『仰臥漫録』のコピーなど、興味深い品の多いなか、特に目をひかれたのが高浜虚子と河東碧梧桐の書であった。
高浜虚子の書は当然ながら数多く展示されており、自然と目に入ってくる。
碧梧桐のほうは、軸や短冊が数点のみの展示だったが、他のどの俳人の書と比べても圧倒的な異彩を放っていた。
虚子と碧梧桐は、子規の門人として双璧をなすが、その作風や生き方など、すべてにおいて対照的である。
彼らが書く文字についても、やはり対照的であるという印象を受けた。
虚子の文字は紙に対する文字の大きさも、文字同士の大きさの比率も、実によくバランスがとれている。
するするとなめらかな、ある意味女性的な筆致である一方で、ゆがみや傾斜のない、しっかりした骨格をそなえている。
独特の丸みがあり、文字のひとつひとつが粒のそろった球体のようである。
それに対して碧梧桐の文字はとてもユニークである。
線は野放図に太く、紙の平面いっぱいに墨の勢いをほとばしらせている。
文字の大きさもまた自由自在であり、不自然に巨大な文字があるかと思えば、スペースが足りなくなったのか、メリハリのつけすぎか事情はわからないが、極端に小さく書き込まれた文字もある。
かたちも独特で、折れや曲がりの部分は90度になっていることが多い。紙が長方形だからだろう。
長方形の紙という制約のなかで力いっぱい暴れまわる碧梧桐。
端正であるが、何食わぬ顔をして紙から抜け出てしまいそうな虚子。
どちらも好きだが、怖いのは虚子のほうだろうか。
水の秋余白を毀す碧梧桐 中村安伸