2010年9月30日木曜日

牛乳キャップの王

小学生の頃、キャップと呼ばれる牛乳瓶の紙蓋を収集することが流行した。
くっきりとした単色、ものによっては二色刷りで、円のなかに多少無理やりに、商品名や原材料などを記した文字が詰め込まれている。中央には日付を示すスタンプ。そのシンプルなデザインは見ていて飽きない。

メンコというものは収集したことも、それで遊んだこともないが、我々がキャップを使っておこなっていた遊戯は、メンコのそれと同じものだったようである。
机上に並べたキャップへ息をふきかけたり、あるいは、地面に並べたキャップめがけて一枚を投げつけたりして、風で裏返ったものを自分のものに出来る、といった遊びである。
このような遊びに使うためには、瓶の裏でこすって平らにするのであるが、平たくなった円の周縁部にできる余白なども面白く感じることがあった。

キャップの価値は入手の難易度で決まった。
最も価値の低いものは学校給食のときに出てくるオレンジ色の明治牛乳のキャップである。他にも雪印や森永などは比較的価値が低かった。
マイナーなもの、他の地域のものなど、入手の難しいキャップは垂涎の的であった。
また、同じ明治や森永のものでも印刷にズレがあるものとか、指でつまむための取手が付いたものなどは価値が高かった。

さて、私は、毎朝家に届けられる雪印ファミリア牛乳と給食の明治牛乳とで、最低でも一日二枚のキャップを入手できたし、家族旅行で行った淡路島で売店のおばちゃんに頼んで手に入れた貴重な物などを含め、量も価値も相当なコレクションを所持していた。

そんなある日、ある友人が持ちかけてきた話というのは、以下のようなことだった。
二人のキャップコレクションを共有ということにする。それをお菓子の空き缶に入れて、お寺の近くの(聖徳太子が掘ったという井戸のすぐ脇の)藪の中に隠しておく。

その友人のコレクションもなかなかに魅力的で、それを共有というかたちであっても自分のものにできるということが、とても素晴らしいことのように思えたのだろう。私はすぐに賛成し、上記のプランは実行に移されたのであった。

それから数日後、友人とともにコレクションを確認したところ、それは空き缶ごと消えてなくなっていた。そのときは誰かにゴミとして捨てられてしまったのであろうという結論になったのだと思う。

私は最近、ふとししたことでこの事件のことを思い出したのだが、今となってみると、空き缶ごとコレクションを盗んだのは、件の友人その人だったのかもしれないと考えついた。当時は少しも疑うことなく、彼も傷心をともにしていると思い込んでいたのだが、一度疑いはじめたら、コレクションの共有を持ちかけてきたこと自体が彼の策略だったのかもしれない、とまで思うようになった。

いまさらそのことを恨む気持ちなど全くないが、真偽を確かめてみたい気はする。しかし、その友人が果たして誰であったのか、それをどうしても思い出せないのだ。

稲妻を白磁に貼りて母を貼らず   中村安伸

2010年9月28日火曜日

何かいいことあったらなんなの   上野葉月

マンガ喫茶で矢吹版『迷い猫オーバーラン』を読んでいたら入浴シーンが12ページも続いたので、ついその足で仙川湯けむりの里へ行ってしまった葉月です、ご機嫌よう。
それにしても私ってどうしてこれほどまでに自分でも呆れるほど素直でわかりやすいのだろう。まあその辺が多くの人に深く愛される由縁なのだろうけど。

「竹下景子さんに200点」という文句が局地的大流行になる元凶となった『ゲゲゲの女房』最終週に至って満を持して(?)一反木綿オープニング登場にはさすがに私も驚きました。そういえば『ゲゲゲの女房』公式HPの写真集と題されたコーナーでタイトルバック・リニューアル撮影風景の写真が公開されているのだけどいくつかの写真が怖ろしく可愛い。
http://www9.nhk.or.jp/gegege/photo/vol06.html

思い起こせば『ゲゲゲの女房』初回を見たとき、オープニング最後のふたりで自転車に乗っている後ろ姿だけで泣きそうになった。ドラマが始まる前から泣かされてどうするんだっ、てなものである。
句会で象、鯨、白熊など大型哺乳類の出てくる句は必ず採ってしまうことはよく知られているのだけど、自転車の句も必ずと言っていいほど採ってしまうような気がする。どうして私はこんなに自転車に弱いのだろうか。謎だ。

最近やや下火になってきた気配もあるけど、世間ではかなり長い間(10年近く?)自転車ブームとでも呼べるものが続いていた印象がある。

職場で私の他に自転車通勤している人がもうひとりいる。彼は今時珍しいタイプ独身貴族なので80万円と150万円のロードバイク2台持っていて、交互に乗って来たりしてます。先日職場近くに停めてあったその同僚の自転車が盗難に遭った。盗まれたのは80万円の方。
そんな出来事がきっかけで自転車保険についてちょっこし調べてみたのだけど、ほぼ完全になくなっている模様。

数年前は10社近い保険会社が参入していた記憶があるのだけど、どうやら昨年ぐらいまでに撤退してしまったようだ。そう言われて見れば商品として成立するとも思えない。
昔っから自転車盗難は窃盗事件の中でも桁違いに多数だったし、自転車の事故も多く、私が子供だったころからずっと交通事故の死者の20%程度は自転車のサドルにまたがっていたはずだ。近年交通事故死者全体の数が減ったので自転車運転中の死者の割合は少し大きくなる傾向があったと思う。

葉月は意図的に出鱈目を書き連ねることも多いのだが、単なる記憶違いや勘違いもそれ以上に多いので、気になる方はご自分で調べてください。筆者が調べるのではなく読者が調べる。これがWEB2.0!!(ちょっこし違う)

近年、日本ではあんまり犯罪が減ったので、90年代ぐらいからそれまで件数が多すぎるため統計に入れてなかった自転車盗難も警視庁の犯罪統計に加えるようになったのではなかったか(これもよく調べないで書いています)。
ともかくこの30年ほどの日本での犯罪の減少は半端無くて、特に凶悪犯罪の類、殺人、強盗、性暴力、子供の虐待死など軒並み十分の一ぐらいに減っている。日本人は本当におとなしくなった。考えてみると成人男性のほとんどが武器の使い方を知らなければ触ったことすらないという状態が三世代にも渡って続くというのは一種の社会実験とすら感じる。

昔だったらマスコミが取り上げなかったような子供の虐待死など最近珍しがってマスコミが詳細に報道するので本当に勘弁して欲しい。ほとんどマスコミに接しないように気をつけている私の耳目にすら入ってくるぐらいだ。ああいう報道はどうにかして欲しい。

さて自転車に話を戻すと、東京の街というのは自転車通勤者にとってかなり辛い場所だ。
元来、自転車というのはかなり危険な乗り物で、人や自動車にぶつかりそうになることはほとんどないのに自転車に頻繁にぶつかりそうになる。そもそも見通しの悪い交差点で一時停止するという、交通法規とかマナーとか以前に正常な神経の動物だったら自然に喚起されそうな行動をあえて起こさない人がけっこういる。

自転車は車両なので車道の左側を通行しなければいけないのにそれを守っていない人が多い。
歩道を走る人も多い。これには理由があって原則車道なのに車道自体があまりにも整備されていないので歩道が自転車通行可になっている場所が多すぎたりするのだが。
だいたい所謂ママチャリだって、長い下りの坂道だったら時速100kmぐらい平気で出るのに、無免許で乗れる上にヘルメットが義務化されているわけでもない。そういう乗り物に小学校低学年の子供とか副腎皮質ホルモンの横溢している妙齢のご婦人などがいくらでも乗っているのだ。

様々な困難を挙げ連ねるときりがないが、総じて東京は自転車通勤者にとって優しくない環境であるのは疑いない。それでも自転車通勤者があまり減る気配を見せないのは、自転車がそれほど魅力的だと言うよりは一度自転車通勤を経験すると満員電車に乗る通勤に戻れないからのような気もする。私自身、雨の日にしか電車通勤をしないので単に雨で憂鬱になるのと満員電車の憂鬱を混同している可能性もあるのかもしれないけど。

自転車は危険だらけなので、自転車で無事出社したり帰宅したりすると、それだけで小さな達成感がある。こういう日常のささやかな達成感は心の健康を保つのに有効だという部分もあるかもしれない。
そんな統計があるとは思えないが、電車通勤者と自転車通勤者の自殺率を比較したら統計的に明かに有意な差異が観測されると思う。

ここまで書いてきてふと思い出したけど、古今東西、どんな社会でも独身男性の死亡率と配偶者のいる男性の死亡率は統計的に有意どころか、歴然と差が出ることはよく知られている。奥さんがいるだけで事故死したり病死したりする割合が減じるのである。ほんに奥さんとはありがたいものである。
親愛なる読者諸氏の中には独身の男性俳人もおられることと思うが、とりあえず作句などは自動機械に任せておいて婚活に励むのもよいのではないだろうか。
小さくてころっころっしているの希望、とか、田舎っぽい感じが好き、とか、看護師さんじゃなきゃやだ、とか、若くて眼鏡かけてればなんでもいい、とか、人にはそれぞれ事情があるかもしれないけど、とりあえず結婚しなさい。
死亡率がさがるぞ。

次々と蚤味わうや猿の秋  上野葉月






<句会告知>
来る10月30日(土)、久しぶりに吉祥寺句会番外編を決行します。
今回は”東京で最もおしゃれな街”仙川です。
いつものように挨拶はご機嫌よう、とび入り可、欠席投句可、飲み会のみ参加可。

場所:サイゼリア仙川店
題 :惹、具、リング、仙、川、及び当期雑詠、(ひとり10句まで投句可)
集合:16:00
出句:16:15

清記ののち、16:45からはせんがわ劇場にて某飛び地先生のジャグリング見物。
http://ppqp.web.fc2.com/

18:30
ジャグリングとまったく無関係につつじヶ丘某所で『肉じゃがじゃない会』
サブタイトル:今回は本当に最終回、家具でも食器でもCDでもDVDでも持ってけ泥棒!!

参加表明及び質問は葉月メールかmixiへ。
よろしくお願いいたします。

2010年9月17日金曜日

 ― Moussaka ―



  錨より雫馬鈴薯引く、拾ふ      青山茂根


 横浜の、黄金町あたりから根岸線をくぐっていく、N川沿いの夕暮れの道の物悲しさと、新山下から本牧へかけての、沖縄を始め様々な、しかし小さな料理屋ばかりの灯りが点在する道の深夜の風景を、ときどき見たくなる。なんてことない町の、しかし少し脇道を入ると危なっかしい店も息づいていながら、川べりの灯りの柔らかな光が、不思議な釣り合いを保っていて。それでも、ああ、港町なんだなあ、と感じ入ったのは、ギリシャ料理店の多さだった。現在は閉店してしまった老舗もあるのだが、私が学生の頃は、そのN川沿いや、山下町の裏道あたりにも、ギリシャ人オーナーが開いていた店がいくつもあった。古くから、港に入港する船にギリシャ人船員が多く、彼らが上陸したときに羽を休め、祖国の味を懐かしむ場所として、ギリシャの酒を専門に置いているバーや、レストランが繁盛していたのだという。今は、日本の海運業にギリシャの船が関わらなくなってきたのか、次第に店が減って、もともとのギリシャ人オーナーから、日本人経営の店に変わってしまったところもあるらしい。ゼミの教授を囲んだ会も、確かそうしたギリシャ料理店のひとつで行われ、それもその教授のお気に入りの店とかで、堅い、という印象しかなかった師の、意外な一面を見た気がした。


 「Moussaka(ムサカ)」という料理も、確かそのときテーブルに登場したはずだ。初めて食べたのは、もう少し前、N川沿いのどこかの店だったように記憶するが、その名前の音の響きは、ある小説を、専攻ではない英文学の授業で読んだときに知った。


 数年前に別れた男女が、当時よく食事をした店で偶然再会するという英国の女流作家の書いたストーリーで、普段の自分たちからするとまず入らないタイプの店の、少し庶民的なレストランの描写、それに重ねて女性のほうの心理が、屈折を引き戻すように提示される。


 誰にも見つかりそうにない、どちらかの知り合いが行くようなことはないにきまっている店だったからで、それでいて不便で話にならないというほどではなく、ホーボーンからあまり遠くはない所で、ホーボーンなら二人ともときどき行っても不自然ではなかったのだ。(中略)

 そこに座ると、赤い縞が入った合成樹脂のテーブルの表面と、ごちゃごちゃ置いてある塩、こしょう、マスタード、ソースなどの容器と灰皿を見た。塩の容器が、太いギザギザの線が入ったアクリル製で、口の周りが帆立貝の形になっている安っぽさは忘れようもなかった。

(「再会」 マーガレット・ドラブル著 小野寺健編訳『20世紀イギリス短編選(下)』より 岩波文庫 1987)


 心のどこかで期待している、自分の行動を自己否定しつつ、眠らせてあった本当の感情に次第に肯定的になっていく女性の葛藤が、見事に読者の前にあきらかにされていく筆致は、英国の女流作家の小説に特徴的なものだろう、読んでいる自分も、極小のカメラで胸の内から頭の中まで画面に映し出されている気分になってくる。日本のこの手のテレビドラマの安易な設定とは大違いだ。そして、いつも男性が頼んでいたムサカ!女性のほうは、常にチーズオムレツ。手早く食べられる一品料理であり、どこで食べてもあまり外れが無いから、と書かれているのは、つまり、その男女が、外でゆっくり、特別な食事を楽しむにははばかられる関係であることを指す。そして食事の内容よりも、そのあとの行為のほうに重点がおかれていた、という二人の結びつきの濃さを表して。偶然再会したその店で、<「で、お子さんたちは元気?」>などという会話を交わしながら、後から運ばれてきた彼のムサカから、話は急展開する「・・・まるでプルーストの記憶の世界じゃないか。・・・ムサカの味はきみだ。」>という方向に。


 残念ながらムサカにまつわるそんな思い出のない私は、その、茄子とジャガイモと挽肉、ペシャメルソースの層に、焦げ目のついたチーズの織り成す味を、どこか懐かしく、たまらなく食べたいものとして思い起こすだけだ。<忘れてしまう人間は忘れる>、そんなものかもしれないと思いつつ。(原題:The Reunion) 

2010年9月15日水曜日

何かいいことあったらおっぱい

義理なんだから、勘違いしないでよ!!

ヴァレンタインデーまであと五ヶ月となりましたが、皆さんお元気でしょうか?(さすがにこれほどまでに季節感をないがしろにした挨拶だと現○協はともかく○人協会あたりからは苦情が来そう)

それはそれとして、
今のは失敗じゃなくおっぱいだと思え!
所謂bakegirlsの中ではやっぱり神原がお気に入り(フィギアとか買ったことのない私だけどネンドロイド神原は欲しい。誰か誕生日にプレゼントしてくれないかなあ。自分で買えとか言われそうだが)。

柄にもなく先日マーケティング関連の本を読んでいたら、その本の主題とは直接関係ない話題だったのだけど、「第二次大戦での日本の損失を経済的に計算すると当時の貨幣価値で600億円に相当。所謂バブル崩壊後十年間の日本の経済的損失は1800兆円に相当。貨幣価値の違いを考慮して計算し直してもこの十年に大戦の経済損失の2倍以上の損失を被っている」というような記述が目を引いた。
80年代後半以降の日本の金融自由化を「第二の敗戦」と呼ぶ人はけっこういるけど、銃声一発鳴らなかった継続的信用崩壊の損失が、日本中の大都市が焼け野原になったあの大戦の損失を上回るというのはさすがに実感が沸かないものだ。
もっとも日本を代表するワーキンプアとしてこの十年ほども辛苦を舐め続けている葉月としては、経済的流血は一向に治まる気配がないように肌で感じる部分もある。
2002年から2007年の6年ほど、日本企業の収益は伸び続け“いざなぎ景気越え”とマスコミから無理矢理呼ばれたりもしていたのに生活は苦しくなる一方で、おそらく私のような非正規な人間(?)じゃない普通に働いている人たちにも充分流血感を覚えることは可能だったように思う。

日本は1990年代からこっち長期金利2%以下という状況が続いているが、先進国(アクティブな産業国?)が10数年以上に渡ってこういう状態に陥るのは17世紀初頭のイタリア・ジェノバでの金融恐慌以来の実に400年ぶりの異常事態だったりする。失われた10年とか20年とか言っているが要するに近代以降の人類にとっての初めての危機に直面しているということだ。

あのペテン師というレッテルを千回貼り付けたところでおつりが来そうな(前FRB議長)グリーンスパン氏は2008年の経済危機に際して「100年に一度あるかという危機」だと表現したそうだが、実際のところ日本についてはその10年前から「400年に一度の危機」だったのだ。

そもそも銀行(近代金融)というのはイタリア人が始めたもので、それはもうイタリア人が考え出したぐらいだから皆も想像付くとは思うけど「いい加減」と「その場しのぎ」をダ・ヴィンチがデッサンした上にミケランジェロが彩色したようなものすごい出来映えのシステムである。
あんまり不安定なものだから、その後、大航海時代、ルネサンス、産業革命、帝国主義、グローバリズムなど控えめに表現してもかなり傍迷惑だと言える副産物を生み出し続けることとなった。
まあそれくらい銀行というのは人類の近代の本質にかかわるシステムなのだ。大抵の国で大銀行が破綻しそうになると、財政危機で鼻血も出ないと日頃言っている癖に普通の人間にはとても実感できないような巨額の税金を投入して銀行を救済するのも、市民の生活苦よりも国家の存続よりも、銀行というシステムが人類の近代の根幹をなすからである。

現在の産業社会で日本はトップランナーであり、今日の日本で起きていることは明日の世界のいくつかの国の姿なのだと私は(不安と微かな不快感をもって)主張する機会が多いのだけど、やはり日本の今後には期待してしまう向きもある。
日本人の得意技、積極的な引きこもり。鎖国政策と表現してもいい。私はあえてローカリズムと表現したいが。

金融危機とは危機であると同時に金融の軛から逃れるチャンスでもある。

人類の近代は地球上の工業製品を溢れさせ、同時に豊穣な文化の多様性を根こそぎにしてきたが、まだまだ手遅れだとあきらめることはないと思う。

数十年では無理だとは思うが、数世代に渡って慎重かつ丁寧に事を運んでいけば、日本はまた独特な文化を保持する多くの人間の関心を引かない取るに足らない貧乏な島国に成り上がることも可能だと信じる。ほとんど尊皇攘夷と言っていることは変わらないが、さらに言えば地域貨幣のみの流通で経済圏を縮小できればそれにこしたことはないと思う。正直なところ国家なんてものはせいぜいシンガポール程度の大きさでも大きすぎるぐらいの印象がある。それはそれとして、情報についてはともかく人と物と金融の移動をかなり制限できれば、人間はこんなに過剰な生産と消費に追われまくられず、少しはのんびりと雑談に興じたりする暇を持てそうだ。

数世代後には世界中の多くの国や地域が同様の価値観(物を捨て時間を取る)で行動するようになるかもしれない。かつてジャパン・バッシングならぬジャパン・パッシング(PASSING)だと言われた時期があった。今後も努めて身を低くしてスルーされ素通りされ続けるのが良いのではなかろうか。とりあえずこのような方針をガラパゴス・プロジェクト(仮)と名付けておこう。

遮断機のゆるりと降りる星月夜  上野葉月

2010年9月11日土曜日

haiku&me特別企画のお知らせ(14)

Twitter読書会『新撰21』 

第十四回「相子智恵+甲斐由起子」



Twitter読書会『新撰21』第十四回の開催をお知らせいたします。
※Twitterについての詳細はこちらをご覧下さい。

この企画は『セレクション俳人 プラス 新撰21』より、各回一人ずつの作家と小論をとりあげ、鑑賞、批評を行うものです。全21回を予定しており、原則として隔週開催いたします。

第十四回は相子智恵さんの作品「一滴の我」と、甲斐由起子さんの小論「美しき諧謔」を取り上げます。


「haiku&me」のレギュラー執筆者が参加予定ですが、Twitterのユーザーであれば、どなたでもご参加いただけます。主催者側への事前の参加申請等は不要です。(できれば、前もって『新撰21』掲載の、該当作者の作品100句、および小論をご一読ください。)

また、Twitterに登録していない方でも、傍聴可能です。

■第十四回開催日時:2010/9/18(土)22時より24時頃まで

■参加者: 
haiku&meレギュラー執筆者
+
どなたでもご参加いただけます。

■ご参加方法:
(1)ご発言される場合
Twitter上で、ご自分のアカウントからご発言ください。
ご発言時は、文頭に以下の文字列をご入力ください。(これはハッシュタグと呼ばれるもので、発言を検索するためのキーワードとなります。)
#shinsen21
※ハッシュタグはすべて半角でご入力ください。また、ハッシュタグと本文との間に半角のスペースを入力してください。

なお、Twitterアカウントをお持ちでない方はこちらからTwitterにご登録ください。(無料、紹介等も不要です。)

(2)傍聴のみの場合
こちらをご覧下さい。

■事前のご発言のお願い
(1)読書会開催中にご参加いただけない方は、事前にTwitter上で評などをご発言いただければと思います。

(2)ご参加可能な方も、できるだけ事前に評などを書き込んでいただき、開催中は議論を中心に出来ればと思います。

(3)いずれの場合もタグは#shinsen21をご使用ください。終了後の感想なども、こちらのタグを使用してご発言ください。



■お問い合わせ:
中村(yasnakam@gmail.com)まで、お願いいたします。

■参考情報ほか:
・第一回読書会のまとめ
・第二回読書会のまとめ
・第三回読書会のまとめ
・第四回読書会のまとめ
・第五回読書会のまとめ
・第六回読書会のまとめ
・第七回読書会のまとめ
・第八回読書会のまとめ
・第九回読書会のまとめ
・第十回読書会のまとめ
・第十一回読書会のまとめ
・第十二回読書会のまとめ
・第十三回読書会のまとめ

新撰21情報(邑書林)

・『新撰21』のご購入はこちらから

2010年9月9日木曜日

 ― 感傷ではなく ―


  

  濯ぐとき乳房弾みて麥萌えだす    森澄雄   『雪櫟』   

  法華寺の甍の雨の秋の晝        〃     『游方』 

  白桃や満月はやや曇りをり        〃     『雪櫟』

  谷川を手毬流れ來誰が泣きし       〃    『所生』 

  鈴蟲の夜更けのこゑも飼はれたる    〃    『鯉素』

   (『森澄雄の107句』 上野一孝編 舷燈社 2002) 


だいぶ前に頂きながら、なかなかお礼を申し上げられなかった一冊(ありがとうございました)。先頃亡くなられた森澄雄氏の句に、その俳句会に集った方たちが鑑賞を書いている本だ。

・・・毎月の句会には自分の作品を持参するだけでなく、森先生の句集を毎月一冊づつ決め、そこから自分の好きな十句を選んでくること、さらに一句鑑賞を書いてくることをお互いの宿題とするようになった。そして句会では、会員の作品の合評の後に、澄雄句の鑑賞文の読み合わせも行うようにして、今年のはじめには、これを第一句集『雪櫟』から最新の第十二句集『天日』まで終えることになったのである。( 『 同 』 「はじめに」より)

他の誰かの句を、読み込み、鑑賞を書く。出来れば、同時代より前の。同世代の句なら、割とたやすく読み解けるが、違う時代に詠まれた句を理解するには、言葉について、その背景について、調べることも出てくる。この一冊のように、師の句について、という場合もあるが、これを続けていくと、自分自身、読みの幅に、俳句の世界観に、広がりが生まれる気がする。そこからまた、同時代の句を読んでみると、新たな鑑賞も見えてくるのかもしれない。

  斑雪野も末黒野もあり遍路かな    森澄雄   『白小』

・・・斑雪野や末黒野から、読者は、広々とした空間を想像するとともに、早春に残る冬の名残を感じずにはいられない。これらは《時間》の流れを内包した季語なのだ。そしてこの《時間》は、遍路それぞれが歩く旅の時間、そして人生の時間とも重なって来る。(上野一孝氏の鑑賞から)


読書会、ツイッター上を日々流れていく様々な句、あるテーマでの皆の競詠の様などをぼんやり眺めていて、ふと思った。575なら、短ければ、テーマが入っていれば俳句?俳句の遊びの要素も確かに楽しい、現代の情景を切り取ることも魅力だが、全てを語り尽くしていたらそれは俳句ではないのかも?いひおほせて何かある?まだ見えぬその何かを日々追って。と言いつつも、言葉で遊んでいるだけかも?







秋蝶のやうに我が胸にも触れよ              青山茂根

2010年9月8日水曜日

何かいいことあったらいいです

残暑お見舞い申し上げます。今年に限っては酷暑お見舞いという言葉を使いたいぐらいですが。

あんまり暑いせいからなのかもしれないけど、とことん自分が大抵のことに忌み疲れているようにふと感じました。
生活は安定せず、相変わらず住所不定だし。三界に家なしとは私のような者のための言葉であるかの如く。
友人の中には私がこんな状況を楽しんでいるのではと勘違いしている向きもないわけではないのですが、正直に言わせてもらえば飽き飽きです。
本当に疲れるばかり。しかも回復力が低下しているし。我ながら本当に愚痴っぽくなったなあ。
若い頃は憂鬱が嵩じて自殺するぐらいなら、気晴らしに人でも殺して刑務所に入るぐらいの方がましだと考えられるような人間だったけれど、もうわざわざ人を殺すような元気もない。

考えてみると、これまで惜しみない賞賛に彩られた清廉潔白な人生を歩んできたのは、悪行を重ねて後ろ指をさされるような生活を送ったら両親が悲しむだろうということだけが倫理的な抑止力になっていたためのような気がする。ところが実際に親が死んでしまうような年齢になると、よくしたもので、悪行を重ねるだけの体力もない。
こういう場合、子供の存在というのはあまり抑止力を持たないように思う。私が逮捕されたりしたら子供達は迷惑には感じるだろうけど、あんまり悲しむような印象がない。いずれにしても犯罪に走る元気もないのでこうやって気晴らしに投稿したりしているわけだけど。
家族というのは本当に不可解なものだ。以前どこかに「人類を極端に自己家畜化の進んだ動物であるとする定義はけっこう有効」みたいなことを書いた憶えがあるけどやっぱり「人間は結婚する動物」だよなあ。
昨年『親族の基本構造』を読み返したばかりだけど、また読みたくなってきた。

ご存じのように私の俳号は葉月だが、だからと言って別に八月が好きなわけではないし、今年の八月は何しろ暑苦しくて何もやる気になれなかった。
それでも気になって八月中ずっと追いかけていたニュースがあった。
イラン初のブシェール原子力発電所。
燃料はIAEAの監視下に置かれる方針も通り、8/21には核燃料の装着作業開始ということで、21日までにイスラエルによる爆撃を危惧する声が各方面から上がっていたのだけど、とりあえず爆撃がなかったのは僥倖と言える。
何しろイスラエル空軍にはすでに完成間近のイランの原発を戦闘機で空襲・破壊した前科がある。あれは米国ではレーガン大統領の二期目だったからもう30年くらい前だ。

今回はイスラエル外務省が非難声明を出しただけにとどまっている。このまま進めば無事稼働に漕ぎ着けそうな気配。

イスラエル-英国-米国という連合の相対的な政治力の低下がまた顕わになった印象も強い。
そういえば6月にトルコ船舶をイスラエル軍が攻撃したとき、欧州各国のマスメディアが強い論調で非難したのも記憶に新しい。
本来、欧米のメディアでイスラエル批判を目にすることは少ないのは、ユダヤ系の影響力が強大なせいもあるのだけど、それ以上にどんなにニュートラルな報道に努めても、極右(反ユダヤ主義)または極左(親パレスチナ?大アラブ主義?イスラム原理主義?)どちらかに大きく振れた記事だと見なされてしまう雰囲気が色濃かったせいもあったと思う。どう転んでも極(エクストレーム)っぽく取られてしまう。それが6月にガザ支援トルコ船舶への軍事行動が正々堂々(?)と大きく非難されたのは私には時代の変化を如実に感じさせる出来事だった。
「ユダヤ人が二人集まると政党が三つ出来る」という諺もあるくらいで、ユダヤ人は一枚岩ではもちろんないし反シオニストも少なくないというややこしい状況もあり物事単純に考えるわけにはいかないのかもしれないけど猛暑で考える体力がない。

いわゆるリーマンショックの数年前ぐらい、00年代前半から、アメリカ外しとでも呼ぶべきものが国際的に拡がっている印象は相変わらず強い。というかすでに「アメリカ以後」の時代に入ってしまっているのかもしれない。
日本に住んでいるとどうしてもインドや中国の経済的な影響力の拡大にばかり目が行ってしまう傾向があるけど、この数年のイランやロシアの政治的影響力の強さはとても気になる。

どろ沼を求めて涼し河馬の秋  上野葉月