2009年8月18日火曜日

じゃんけんに負けたぐらいじゃ愛媛に生まれないのか

 零戦に尾鰭背鰭のありにけり     上野葉月

ユースケくんが不景気にじゃなくて不定期に開催している「ババロア句会」はテーマ詠を持ち寄って行う句会なのだが、その本番の句会の前に既成の有名句の季語を季語ではない別の言葉に置き換えた俳句を提出する遊びを行うことがよくある。

たとえば以下のような操作によって一句ひねるわけである。

戦争と畳の上の団扇かな → 戦争と畳の上のメイドかな

遊びと言えば完全に遊びだ。人によっては季語の持つ機能とかはたまた俳句の本質とは何なのかなんて本格的議論を誘発しそうな危険性を含む遊びではあるのだが(よい子は真似しないように)「ババロア句会」では単なる遊びに終始している。
遊びと言っても、これはこれでけっこう役立つ遊びで、仮に俳句に興味のない(あるいは我が師、鋼の錬金術師の如く二つ名を持つ俳人!「こしのゆみこtheともだちがいない」さんのように五七五方向にchallengedな)句会初心者がその場にいても作句に苦労せずに、短冊の提出、清記、選句、披講という一連の句会作業を無理なく体験できる利点がある。

さて前回の「ババロア句会」でもやはりこの遊びが行われたのだけど、圧倒的な点数差で以下の句が最高点となった。

じゃんけんに負けて群馬に生まれたの  岡本飛び地

元句は言うまでもなく池田澄子さんの句である。私は他人の俳句も自分の俳句も記憶するのが苦手なのだが、池田澄子さんの蛍の句ばかりは一遍で憶えた。もう大好きな句なのでうれしくて(?)私もこの飛び地さんの句に点を入れた。
話を聞いてみるとこの句を選んだ人たちは群馬が絶妙だと言う。説得力ある距離感でじゃんけんでの負けに対応しているらしい。
熊倉隆敏のマンガのせいで私にとって栃木が「天国に一番近い県」なので群馬は天国に近すぎるような気がするのだが、どうなんでしょうか。そもそも日本に生まれた時点でじゃんけんに勝っていると言ってもよいような。そういえば某音大生のせいで二十世紀の昔には岐阜が「天国に一番近い県」だった(すぐ話が逸れる葉月)。
私って自称サーファーでジャズダンスのインストラクターで大の漱石ファンなのだけど、パスポートなしで行ける海外と呼ばれる愛媛や熊本にまだ行ったことがない。

熱心な読者のための注: こしのゆみこさんが"ともだちがいない"こしのゆみこと呼ばれているのは、こしのさんの友人関係に由来している訳ではなく、句集の出版前から広く人口に膾炙していた代表句のひとつに

夏座敷父はともだちがいない

があるためです。ちなみに私が"愛と勇気だけがともだち"上野葉月と呼ばれているのは、アンパンマンに容貌が似ているからではなく「こしのゆみこの一番弟子」だからです。


2 件のコメント:

  1. 岡本飛び地2009年8月18日 20:15

    熱心な読者のための注:群馬県も、群馬の人も、大好きです。

    後出しじゃんけんで負けると愛媛に生まれます。

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  2. >後出しじゃんけんで負けると愛媛に生まれます。
    おお、鮮烈な説! なんとなく説得力あります。

    ちなみに私は群馬県生まれの人と一緒に『ヱヴァンゲリヲン破』を見に生きました(なんのこっちゃ?)。

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