2009年12月4日金曜日

 ― 例句と解体 ―

  うしろから口ふさがれてゐてふくろふ    青山茂根


 すでに絶版になっているが、水原秋櫻子編の『新編 歳時記』(大泉書店 私が持っているのは昭和48年発行の第33版)を折に触れひらく。A6横判という小さいもので、季語も三千余りと少ないのだが、布張りの表紙の手触りとともに、心和むものがある。これを古本屋で見つけたときは、まだ最初の結社に入ったばかりだったか。秋櫻子による序を開くと、当時の私の師の師である、能村登四郎と林翔の名が、新進と称される若き編者として載っていた。

 例句ばかりでなく季語の説明文も、旧仮名で記されていて、柔らかに頭へ染み込むように思う。そもそもの国文の素養に欠ける私は、仮名遣いの間違いを始終していたので、古書店にいくつか並んでいた歳時記の中で、それを選んだのはそんな理由もあった。載っている季語の選択も、もしかして馬酔木好み?と思える部分もあり、説明も叙情を目指せと言わんばかりの傾向なのがかえって面白い。「梅」の項に(春の部担当は林翔)、書かれている文を引いてみる。ちょっとおせっかい過ぎと感じられなくもないのがかえって親しみを覚える。私はたまたま梅の名所というところに近く育ったので、その満開の木々が川の堤に遠くまで並び、白くほの明るい夕べの風景もまた郷愁を誘うものであることを知っている。

 (前略)・・・梅園などへ行くと、茶屋の縁台に緋毛氈が掛けてあつたりするが、そんな俗な所に目を着けたのでは、梅の句としての価値を全くなくしてしまふ。梅林を訪れるのは差し支えないが、野路に山路に或いは庭先に見出した一幹乃至数幹の梅にこそ、真の風情はあるであらう。

 そこに載せられている例句はといえば、一時馬酔木に投句していた作者もあり、今の我々からは意外な、あの人のこんな句が馬酔木に存在していたのか、という印象を受ける。
  曳曳と猪逐ふ聲は三つの峯に      静塔
  三日月のひたとありたる嚏かな     草田男
  対岸の人と寒風もてつながる       三鬼

 どちらかというと、その俳人の代表句には入らないだろうという選択なのも何か頷けるのだ。各季節の執筆者によっても、その選び取られた句の傾向があるのだが、秋や冬の項には全く例句が入っていないが、春・夏には頻繁に出てくる馬酔木内の作者がいるのも興をそそる。
  金堂のくづほるるごとかげろひぬ     かけい
  胸あつくなりて胡蝶に手をのべぬ      〃
  いよよ窮迫今年の蟻のまづよぎる      〃
  わがまへに木瓜燃えたてりわが性も     〃
  かへりみてはげしきわれぞすみれ摘む   〃
  草競馬きつとまさをき雲の翳         〃
  雨安居螺鈿の手筥くもらさじ          〃
  佛法僧ちかきたぎちを夜目に越ゆ      〃
  馬籠妻籠をだまきの花こぼれけり      〃
  喜雨の蟹しづくたれつつ閾越ゆ       〃
  晒井の底より見たる揚羽蝶         〃
  
 俳号の苗字を記した箇所が一切ないので(他の句の作者についても同様)、断言は出来ないが、おそらく加藤かけいの句で間違いないだろう。掲載句に選ばれていない秋・冬に秀句が全くない、ということではなく、秋・冬の選者、それぞれ篠田悌二郎・澤聰の意向に拠るものと思われる。この歳時記の初版年が不明なのでなんとも言えないが(web上で見つけた橋本直氏の「近代季語についての報告(二)秋季・新年編」の調査歳時記一覧の中に、「昭和26年、大泉書店」とあったが、それが初版との記述はない)、その後馬酔木を去ることになるかけいの、馬酔木時代の句ということだろう。ともあれ、かけいを馬酔木内で評価していたのは、春・夏の執筆者、林翔・能村登四郎であったことは想像できる。 昭和23年にかけいは馬酔木を退会しているという事実、結社を去った人物の句をその主宰が編纂する一般へ向けての歳時記に載せるには、それだけの意志を必要とするだろう。

 仕事の合間に、この歳時記を見つけたのだった。その頃、よく足を運んでいた、神田錦町の博報堂旧本社ビルが、取り壊される予定だという。古書店街にも近く、そのクラシックな外観と、正面玄関から一歩足を踏み入れると間口とは不釣合いなほど太く大きな柱の間から、待ち合わせ用のソファが見え隠れする構図が好きだった。実際には、そこでゆっくりとソファに身を沈めている暇などなく、素通りするばかりだったのだが。昭和5年竣工、名建築家・岡田信一郎の設計による建物というのは、最近知った。もう一つ、その頃よく出かけた、東京駅の向かいの中央郵便局に並ぶ、旧東京ビルはすでに取り壊され、立て替えられてしまっている。深夜、石造りの廊下に響く足音や、古めかしい音をたてるエレベーターホールの意匠など、もう存在しないのだと思うとやるせない。

  

2 件のコメント:

  1. 拙稿の引用ありがとう存じます。秋櫻子編の『新編 歳時記』の初版は昭和26年3月30日(私が持っている30年11月15日再版の奥付記載による)のようです。ちなみに、秋桜子編で虚子編の『季寄せ』に相当する『季語集』を30年9月に出しています。ざっとみたところ、そっちには「かけい」の句は「草競馬~」しか載っていませんでした。ご参考まで。

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  2. 橋本 直さま

    コメントありがとうございます。
    ご連絡もせず、勝手に引用いたしまして申し訳ありませんでした。
    情報お寄せいただき感謝です。
    やはり26年初版なのですね。
    その後、『 能村登四郎読本』をあたりましたら、
    巻末の年譜に、昭和23年、この歳時記の編者に
    秋櫻子から指名されたと書かれていました。
    それが何月であったかの記載はなかったので、
    数ヶ月の範囲かもしれませんが、もしかして、
    選句した当時は、かけいはまだ馬酔木内に
    在籍していたのかもしれません。

    以上、追記させていただきます。

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