2009年10月7日水曜日

名月

中秋の名月の日、秋葉原でオフ会。
スタート前の18時、会場近くで雲間に見え隠れする月を見た。

そもそも、10年以上前にniftyの俳句関連のオフ会に一、二回参加したことがあるくらいで、オフ会というものに出るのは大変久しぶりである。最近ははじめての句会に参加するということもほとんどなく、今回のように、会う人全員が初対面というシチュエーションもまた、ずいぶん長く経験していないことであった。

会にはtwnovel(ついったー小説)の書き手が18人集合した。
無線LAN環境のあるお店で、ほとんど全員がモバイルPCやiPhoneを手にして、オンライン、オフライン相半ばして、というところは先日のSweet Vacationのライブイベントと似ているようでもある。
実際、専用のタグを用意したということろも共通していた。このタグを使用して、遠方などの参加できない人々を巻き込みつつコミュニケーションをとったり、席題(という言い方はしていなかったが)を出してみんなで小説を作り、合図でいっせいに投稿するなどという遊びをしたりと、なかなかユニークな会合であった。

興味深かったのは、何人かの方が、ついったー小説を書く習慣によって報告書など仕事上のドキュメントを上手に書くことができるようになったと言っていたこと。
つまり、無駄を省き簡潔明瞭な文章を書くということが習慣化することによって、文章の伝達力が増したというわけである。
無駄を省くという点では俳句でも同様の効果がありそうだが、少し違う面もある。
つまり、ついったー小説はあくまでも散文作品であり、短い言葉ではあっても対象をくっきりと描出することが求められるのに対して、俳句は散文としては成立しないほどに言葉を省略するのであって、伝達ツールとしては欠陥品でなければならないのである。
だから俳句の修練が直接的に文章の上達につながるかという点には疑問が残る。むしろ説明不足の文を書いてしまうことが往々にしてあるような気がするのだ。

ところで、先日書かなかったことだが、twitterの特徴のひとつとして、twitterをより楽しむためのサービスを、ユーザーが開発提供している例がたくさんあるということがある。
twitterの機能のひとつに、自分が気に入った発言にfavoliteという☆マークをつけ、クリップしておくことが出来るというものがある。俗にfavoliteをつけることを「ふぁぼる」、つけられることを「ふぁぼられる」もしくは「ふぁぼをいただく」などと言う。この機能を利用したサービスに「ふぁぼったー」というものがあり、自分の発言が誰にふぁぼられたかを見ることができるのだ。
このサービスがついったー小説作家たちに重要視されており、貰ったふぁぼの数をモチベーションにしている作家も多い。
システムとして句会ほど公平ではない部分もあるが、ともかくも読んでもらえているという実感がダイレクトに伝わってくるという点が、創作への意欲をかきたてるのであろう。

オフ会と二次会が終わった頃、名月は中天に昇っていた。
秋葉原駅北口の空間がひらけたあたりで、最後まで残っていた数人が月を眺め、ある女性が月に関するいろんな言葉を教えてくれた。

帰宅後、いつものようにtwitterにアクセスすると、オフ会に参加していた人たちも、参加できなかった人たちも等しくオンラインでタイムライン上にあらわれ、今日の感想やらなにやら話し合っている。
いつものように私はそれを眺めるだけでほとんど発言はしなかったが、すこしばかり文字列に表情がついたような気がした。

月姫のつめたき肌を病みにけり   中村安伸

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