2010年6月4日金曜日

 ― 隊商は進む ―

 

  遠ざかる生家や蕗に屈むたび     青山茂根


  
 誰かが、自分の見た映画の話を始める。そんなときの、語り手の、その眼の奥の光、早い口調の、熱を帯びたトーン。そのひとが過ごした、幸福な2時間ほどを、聞いている私も、その言葉から、瞳から、追体験している気分になる。未知の映画への憧れが、日向に置いた水さながらに、輝きを増して、次第に温度を上げてゆく。映画でもそうだが、お気に入りの作家などの、まだ読んでいなかった著作を偶然見つけると、何か思わぬ拾い物をしたようで、そのあとの一日が満ち足りて過ぎる。

 ある本棚に、ポール・ボウルズの本が数冊並んでいたのに刺激されて、しばらく自分も読んでみたのだが、長篇となると、その波に乗り切れず、いくつかを途中で挫折してしまった(ボウルズの短篇はどれも、また読み返したくなるほど面白かったのだが)。自分の不甲斐なさを呪いつつ、図書館でボウルズ付近の棚を探っていたら、思いがけず、まだ未読だった、トルーマン・カポーティの本が目に入った。しかも、旅先の地での出来事にインスパイアされたエッセイ集で、様々な土地が、舞台となり、一冊のなかでそれらを巡るような、読み終えるのが惜しくなる一冊なのだ。

 ・・・その人はモンゴル系の顔に黒いビロードのボルサリーノをかぶり、アーモンドの花の香りに満ちた 季節であるにもかかわらず厚い黒いケープをはおっていた。(中略)
 ・・・(手紙に同封されていた)その批評について、また批評精神一般の不健全性について、私が文句を言うのを聞き終わると、フランスの大文豪は背を丸め、肩を落とし、まるで賢明な老いたる・・・・・・禿鷹のように、と言っていいだろうか?・・・・・・そんな顔つきで言った、「ま、いいじゃないか。アラブにこういう諺がある、覚えておくんだな。《犬は吠える、がキャラヴァンは進む》」
      (『ローカル・カラー/観察記録』 トルーマン・カポーティ 小田島雄志 訳 早川書房 s63)
 
 序文から。二月末、シチリアの春の描写。カポーティの静かな観察者としての視点。賢明な老いたる禿鷹とは以下に。アーモンドの花の香りを、いつか知りたい。シチリアの海の色も。

 その老人はアンドレ・ジッドであった、二人は護岸に腰をおろし、揺れ動く青い炎のような古代の海を見おろしていた。

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