2010年2月25日木曜日

コンセール・デグラッセ第四回演奏会

早春の大河の如き小川かな  上野葉月

一年ほど前から楽しみにしていたバッハの『ロ短調ミサ曲』。行って参りました東京文化会館小ホール。

割と好きな曲なので録音メディアでは三十年以上に渡ってもう数え切れないくらい聴いたのだけど、生で聴くのは初めて。

CDで聴いても胸を押しつぶされそうな緊張感が漂う「Kyrie」冒頭なのだが、生演奏を目の当たりにすると筋肉がつるんじゃないかと思うほど緊張しました。酸素不足の金魚鉢内の金魚のごとき有様で聴き入る葉月。今回の演奏会は果敢にも古楽器のアンサンブルなので、ただでさえ緊張感漂う『ロ短調ミサ曲』が冒頭から緊張感過多に。

そういえば私はバロックやそれ以前の古楽が好きでよく聴く割には古楽器での演奏には常々疑問を感じている。古楽器は一般に音量が小さいしピッチが不安定なように感じる。私のように音痴な人間がそんなこと言っても何の説得力もないのだけど、クラシックの演奏会というのは私にとって概ね緊張感過多なので古楽器の生演奏ともなるとパニック寸前なのである。

古楽器の音色は典雅で捨てがたいのはもちろんなのだけど、例えば今日チェンバロを用いることが常識になってしまった感のある『ブランデンブルグ協奏曲』なんかもピアノを用いた古い録音のCDを聴くのは嫌いじゃない。ただし今回の演奏会に関して言えば、やはり古楽器はいいなあとしか言いようがなかった。特に独唱に対してオーボエ・ダモーレと通奏低音という編成になる数曲のオーボエ・ダモーレの音色は正に天上的だったと言っていい。あんなに美しい音をこの世のものと信じるには努力が必要だと思います(エッチなのはいけないと思いますという台詞を堀川由衣さんが言うような調子で読んでください)。

話は変わって今回も中田八十八さんは手ぶら、完全暗譜状態でしたね。あの大曲を。なんと猛々しい。俳句など短詩系は端正な作風なのに、前にピアノ独奏のブラームスを聴いたときも思ったのですが、ミュージッシャンとしての八十八さんにはなにか猛々しい印象がある。

生で見るまで三十年以上知らなかったのですが、「Sanctus」と「Osanna」ではコーラスの編成がそれまでのソプラノ2部アルト1部からソプラノ2部アルト2部あるいは全部2パートに変わるのに今回初めて気付いた。この編成変更の効果といったらとにかく凄まじくて完全に幻惑されました。なんか「群盲象を撫でる」という顰みもあってバッハについて直接言及することを多くの人は避けがちだが、素人の気楽な立場で声を大にして言っておきたい。すごいぞ、ヨハン・セバスチャン・バッハ!!

いと高きところへ オザンナ

2 件のコメント:

  1. 猛々しいなんて初めて言われましたが、見た目上手そうに見せるのは得意です^^ ほんとに大河の如き小川ですねぇ。

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  2. 八十八さん、コメントありがとうございます。

    小川(バッハ)かな
    というのは駄洒落みたいであんまり誉められたものじゃありませんが、まあ許してください(って誰に許してもらおうと?)。

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