2009年7月31日金曜日

 ― ダブリン ―

  水に棲むやうに遠雷を聞きぬ   青山茂根 


 フューシャの花を、その頃まだ知らなかった。フューシャ=フクシア(日本の表記ではときにホクシア)、濃い桃色に紫、白に桃色のうつむいて咲く小さな花の群れ。その花が咲き乱れる時期には少し早かったが、アイルランドには一度行った。

 当時、同居人の幼なじみが五年ほどかの地で仕事をしていた。日本からの客人は歓待するのが常らしく、アイルランド南西部の都市リメリックで一番という、四ツ星のホテルを取っておいてくれたのだが、真っ白な室内に花柄とフリルの装飾は、世界中どこにでもありそうなもので退屈だった。こじんまりした宿のほうが私たち落ち着くからと、一泊でそこを引き上げて、近くにB&Bを見つけて移ってしまった。幼なじみの彼の奥さんが唖然としていたのを覚えている。一週間ほど、周辺の小さな、しかし古い家並みの残る町へ車で案内してもらったり、自分たちで電車にのってコークまで出かけたりした。

 ロンドンへ戻る前日、ダブリンの街で彼らと別れ、夜はリフィー川のほとりへ出かけた。U2のボノが経営するクラブだかバーだかがそのあたりにあって、同居人がどうしても行きたがったのだ。店自体は、音楽が身体中を取り巻くエリアとソファで落ち着いて飲むスペースがあって、ボノのそっくりさんなどがうろうろしているのが可笑しかった。店を出て、宿へ帰るタクシーを拾うために再びリフィー川のほとりへ出たとき、ああ、この光景!と胸にせまるものがあった。

 『ザ・デッド』、ジョン・ヒューストン監督の遺作となった1987年の映画にもあった風景、その原作であるJ・ジョイス『ダブリン市民』の中の「死せる人々」で、まだ暗い早朝、辻馬車を見つけるために二人が歩いていた河畔の光景そのものだった。その時間の空、橋や川べりの石造りの白っぽい色調、ぽつりぽつりと点る街灯の光量や間隔は、おそらくその時代から変わっていないのだろうと。原作にある白い馬が、変わらず見えるかのように。

 1993年にスティーヴン・フリアーズが監督した『スナッパー』も、どこを探しても美男美女がまったく出てこない映画なのだが、アイルランド人の宗教観を下敷きにしたコメディーで、しかもほろりとくる。パブで飲んだくれてばかりの登場人物、望まれずして生まれる子供の名を、ヒロインが妹とああだこうだ言い合うシーンがなんとも良いのだ。その未婚の母になる長女にしたって、六人兄弟の二番目ってところがなんともカトリック的なのだが。「キアヌとかどう?」「いや、マットは?」などと、私が幼い頃『スクリーン』誌などのグラビアを飾っていたアイドル系俳優の名前が出てきて、世界中どこでも女の子の考えることは変わりないらしい。ブッカー賞作家、ロディ・ドイルの原作には、『ヴァン』という続きがあって、生まれたあとの子供の様子も出てくる。同じ原作者の『ザ・コミットメンツ』(1991)もダブリンそのものの映画で、また見なくては。














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