2012年9月14日金曜日
― 『乗船券』を手にして ―
スイスの画家、エルンスト・クライドルフ(Ernst Kreidolf 1863年2月9日-1956年8月12日)の展覧会は、現在、以下のスケジュールで巡回中。
郡山市立美術館(福島) 2012/8/4(土)-9/17(月)
富山県立近代美術館(富山) 2012/11/10(土)-12/27(木)
そごう美術館(横浜) 2013/1/30(水)-2/24(日)
スイスでは国民的な画家で、教科書の挿絵も担当していたりするが、英語圏の国でそれほど知られているわけではないようだ。日本では、いくつか翻訳された美しい絵本が刊行されているので、メルヘンチックな画家として認識されているらしい。子ども向けのようで、実は精神の多面性をどこかに潜ませた緻密な描写による作品は、しばらく眺めているとふと笑顔が消えている自分に気づく。子どもによっては、静かに本を閉じて黙り込んでしまう。アルプスの花々や昆虫を妖精になぞらえて描いた絵には、その厳しい冬、変化しやすい山の天候に暮らすものの日常がどこかに含まれているからだろうか。
金子敦氏の句集『乗船券』からは、クライドルフの絵にある繊細な筆致を思い起こす。読んでいると、すうっと、肩の力が抜けて、リラックスしてくる句群。美しさとないまぜの諧謔。これを、食べ物や菓子の句が多いことだけで評してしまうのは惜しいと思う。もちろん、音韻の効果的な<星涼しつるんと滑る餡子玉>、黄の断崖のクローズアップ<カステラの黄の弾力に春立ちぬ>、これらの句の完成度が高いことは言うまでもないのだが。以下、句集『乗船券』(ふらんす堂 2012)より。
年賀客ともに渚へ走りけり 金子敦
高跳びのバーのかたんと鳥雲に
消えかけし虹へペンギン歩み寄る
少しづつ粘土が象になる日永
「少しづつ」の句、句跨りの効果。日永ののどけさと、粘土を伸ばしてひねっている雰囲気を表す技巧。しかし、何が生み出されるかわからないときの不穏さもどこかに孕んでいる。春の駘蕩たる雰囲気でありながら、ふと日陰に入ったときに立ちくらみを起こすような感覚。
空深きよりぶらんこの戻りくる
高く漕いだブランコが永遠に戻らないような、あの焦燥感。755のリズムもふっと息がとまる効果。
かさぶたのきれいに剥がれ雲の峰
かさぶたのあとのつるんとした肌は、終わり行く夏への暗示のようで。裸足や外遊びで傷を作りやすい夏の季感。
鶏頭へ砥石の水の流れゆく
柔らかな花の質感と石の硬質さを、水の流れがつなぐ。たゆたうような懐かしさ。しかし、「鶏頭」も「砥石」も、ひとつ踏み外せば怖ろしい奈落へ向かう危うさを含んだ語であることを。
ハンプティダンプティめく毛糸玉
弾んで転げ落ちて。定型でありつつ、心象を何も語らず、しかし表現の自由度。マザーグースの寓話は怖さを秘めたものが多いが、落ちて割れてしまうハンプティダンプティは、ここでは割れずに小さくなってどこまでも転がる。
眼鏡置くごとくに山の眠りけり
人が眠りに落ちる前の習慣化したしぐさを、擬人化を重ねつつも、それが山の形象の描写になっていることに驚く。双子の山なみ。
梅林に金平糖が降つてゐる
スポイトにしがみつきたる子猫かな
ゆつくりとガーゼ剥がしぬ鳥雲に
しやぼん玉弾けて僕がゐなくなる
明るい真昼の、ふとした恐怖感。
パレットに小さきみづうみ新樹光
今ここに菓子あつた筈夏座敷
この上五中七に、「夏休み」などとつけたらべた付けの、誰でも考えつく発想になる。季語の本意をつかんでいないと、「夏座敷」をつけられない。夏座敷とは、簾越しに縁側や整えられた庭が透かし見える、団扇や夏座布団など涼しげな装いに整えしつらえられた座敷のこと。来客に、とっておきの菓子が出されていた筈の。いいなあ、あのお菓子、と覗き見て、「子供は向こうへ行ってなさい!」と叱られたりして引っ込んで。で、お客さまが玄関に立たれ引き戸がしまる音したからそれっ、て座敷に飛び込んだときの落胆。ばたばたっという足音も聞こえてくる。ぷぷっとするおかしみと郷愁の句。
約束のベンチに銀杏降るばかり
ごく身の回りにある風物を描いても、ここではないどこかのように、日本的な情趣に収束されないのもこの作者の句の特徴。作家性を思う。
2012年9月7日金曜日
― おひるねと貨物船 ―
『OLD STATION 15 余白句会100回記念特集号』を頂く(ありがとうございます)。現メンバーの代表句「余白の十七句」から。
マラカスの父カスタネットの母朧 柴田千晶
校庭を剥がせば朧なる地球 辻 憲
夏座敷ちからある乳横座り 八木忠栄
89年に始まった余白句会の、第4回から99回までの句会記録が掲載されている。すでに鬼籍に入られた方も多く、その残された句が今この時間に一読者をくすりと笑わせているなどとは思わなかっただろう。俳句を始めたばかりの頃に手に取った『おひるね歳時記』(筑摩書房 1993)の著者、多田道太郎の句(「袂より椿とりだす闇屋かな」)(「というわけでひとりしずかに風の吹く」)を見つけて、何かほのぼのとしたり。連句でご一緒させて頂いたことのある方の句も載っていた。中でも、辻征夫の句に、心ひかれるものがあった。詩性とか、自分語りの有無とか、よく言われるそういった評価にはまったく無頓着であるかのように、無心に身の回りを見わたした、といった句ながら、詩人ならではの視点と言葉の選択の確かさ。また、おそらく無意識であろうが、既存の俳句にほぼ類想句が見つからない独特の語り口。見えている世界への茫漠とした疑念を句にあらわして、巧拙を超えた魅力がある。亡くなられた後に、俳号をタイトルに『貨物船句集』(書肆山田 2001)が刊行されている。当日の兼題らしき同一の題の句が並ぶ中での比較も面白い、余白句会での句から引いてみる。
つゆのひのえんぴつの芯やわらかき 辻征夫
梅一輪妻の故郷の土砂崩れ
姫胡桃義眼の母の浮浪癖
咳こんで胸をたたけば冬の音
物売りが水飲んでおる暑さかな
冬の雨饅頭熱き離別かな
吾が妻という橋渡る五月かな
猫じゃらし化け猫も野を横切りし
落葉降る天に木立はなけれども
雛壇や他家の官女の美しき
衣でて衣にはいるまるはだか
現メンバーによるエッセイ<わたしの好物>では、今井聖氏の「カツ丼」が面白かった。誰かに話したくて、ここに記したくてうずうずする。そんな刺青もあるのか。ほとんど現代アートだ。
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